ビジネスマンが学ぶべき旧日本軍の大失敗「インパール作戦」
コロナ禍に世界中が揺れる今、組織をどのように舵取りすべきかというリーダーたちの手腕が問われている。
それはもちろん国のトップだけではない。企業のリーダーたち、さらにはチームのリーダーたちも、どのように自分が受け持つチームを指揮するか、この難局をいかに乗り越えていくかということが求められている。
そんな時に役に立つのが、「失敗例」から学ぶことだ。
『兵站―重要なのに軽んじられる宿命』(福山隆著、扶桑社刊)は、陸上自衛隊元陸将で、1993年の地下鉄サリン事件時の除染作戦を指揮した著者が、戦争の本質の一つである「兵站(へいたん)をめぐる攻防」を浮き彫りにする一冊。
兵站がいかに戦局を左右するのかを太平洋戦争や朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などの戦局を通して解説している。
■兵站を軽視したが故に…日本軍史上最悪の作戦
「兵站」とは、いわば準備された必要物資で、遠足に譬えて(たとえて)言うと「お弁当」「飲み水」「レジャーシート」「雨具」「絆創膏(ばんそうこう)」「常備薬」などがあげられる。場所やタイミング、人数などによっても必要なものとその量は大きく変わる。戦争では武器や弾薬、燃料が大きなウエイトを占めるが、通常数万人が動くことから自活するための食料も必要だ。
太平洋戦争において、旧日本軍はこの兵站を軽視したがゆえに、「史上最悪の作戦」を演じてしまっている。かの「インパール作戦」である。
1944年3月、旧日本軍は三個師団を繰り出し、インド東部のインパールを攻略する作戦を開始する。これは、連合軍の反攻を食い止め、中国・国民党政府への援助(=兵站支援)を遮断するためであった。
いったんはインパールの北にあるコヒマを制圧し、連合軍の補給ルートを遮断できそうに見えたが、旧日本軍は前線への補給が続かず、作戦は失敗。食料のない状態で前線から撤退を始めたが、病と飢えで次々に兵士は死んでいった。戦死者は3万人にのぼると言われている。
この作戦において著者の福山氏は「兵站面の杜撰(ずさん)さは致命的」だと指摘する。
兵士たちは重い荷物を担ぎ、川幅600メートルにも及ぶチンドウィン河や標高2000~3000メートルのアラカン山脈を越えなければならなかった。さらに5月~11月は雨期で、川は激流、道はぬかるむ。万単位の兵士の食料を調達するのは不可能だった。
さらに、インパール作戦では、師団の兵站物資(食料・弾薬)の携行量はわずか約3週間分であったとされる。それは司令官・牟田口廉也の「作戦は三週間の短期決戦で決す」という方針・決断が根拠だった。福山氏はこの状況について、次のように痛烈に批判する。
牟田口の方針・決断は一方的な思い込みとしかいいようがなく、非常に杜撰な計画だった。この作戦・兵站計画は、英軍の戦力・作戦などを完全に度外視したもので、一緒の「願望」であると言わざるを得ない。(p.124より引用)
この作戦を合理的に考えれば、行軍が数カ月に及ぶことは考えられたはずだ。しかし、準備された兵站物資は約3週間分。それは早々と途絶えることになり、数万人の兵士の命を落とす結果となった。
■兵站を軽視しなかった英軍は大勝利を収める
インパール作戦の失敗は、兵站計画の杜撰さのほかにも、牟田口の資質、作戦発動の意思決定の杜撰さ、そして敵軍(イギリス・インド軍)の合理的(兵站上)な戦略が重なっている。
特にイギリス軍は、その約2年前、北アフリカで、十分な準備のうえで、兵站補給が限界を超えて攻撃してきたドイツの名将・ロンメルの軍を撃破している。戦術的天才と謳われるロンメルだが、兵站面で致命的な欠陥があった。イギリス軍はそのときの学びをインパール戦で活かしたのだ。
イギリス軍のスリム中将は戦後、「日本の補給線が脆弱(ぜいじゃく)になったところで打撃すると決めていた。敵(日本)が雨期になるまでにインパールを占領できなければ、補給物資を一切得られなくなると計算しつくしていた」(p.129)と述懐している。
イギリス・インド軍は、途中の目的地までは自動車で戦略物資を運搬し、軍馬は裸馬で連行。自動車の運用が困難な山岳地帯に入って初めて、馬の背に荷物を載せて物資を運搬したという。また、その馬も体格が大きな種で、現地の気候にも順応していた。
一方、日本軍は軍馬1万2000頭、ビルマ牛(運搬及び食用)3万頭、象1030頭、羊・山羊(食用)などを準備したが、あまり役に立たなかったようだ。前線到着まで搬送できず、食用だった家畜も、肉食文化が低調な日本人にとっては、動物を殺して捌(ル さば)くことに不慣れだったのではないかと福山氏は推察する。
こうした必要物資の準備や補給作戦をしっかり計画せず、与えられた戦力のみで短期決戦を挑み、失敗する。思い込みだけで杜撰な計画を立て、実行して、大炎上する。こうした例は普段のビジネスにおいて、いくらでも散見される。逆に相手の兵站を切断し窮地に追いやるような戦略も、勝ち抜いていくために頭に入れておくべきだろう。
第二次世界大戦において、旧日本軍はいかにして敗北に向かっていったかが分析された『失敗の本質』は組織論の名著として知られているが、合わせて本書を読んでみると、「失敗する組織」の像がより明確になるだろう。
(新刊JP編集部)