『日本の鉄道路線:国鉄在来線の栄枯盛衰 (シリーズ・ニッポン再発見 12) 』山崎宏之著【「本が好き!」レビュー】
提供: 本が好き!筆者は大手鉄道会社に勤務の合間に40年間、鉄道写真を撮り続けた筋金入りの鉄道マニアだ。特にEF64という電気機関車ばかりを追いかけているという。
私も子どものころからの鉄道好きなので、わくわくしながらページをめくってみた。正直、日本の鉄道の歴史について、これほど広範囲にしかも詳細に書いた本を読んだ覚えがない。
まず興味深いのは、日本では鉄道を引くことに軍部がいい顔をしなかったことだ。特に東京~横浜間には軍用地が多く、用地の引き渡しに応じなかったという。公共交通などという概念などはなく、むしろ軍事上の秘密が漏れると考えられていたのだ。
そんな中、少しずつ路線が整備されていく。それは物資輸送の必要性からだった。例えば京都、敦賀間の路線は、海産物を京都に持って行くことが目的だった。
その後各地で路線が計画されるが、当初の計画と名前や、路線が変わっているところもある。当時の事情が反映した結果であり、いま読むとまるで謎解きのような面白みがある。
私が個人的に関心を持ったのは、戦前の私鉄で、戦時中に国鉄に買収された路線のことだ。経営が成り立たず、買収でなんとか存続した路線もあったものの、中には経営的に成功していた鉄道もあった。
このため、戦争後は路線を元の会社に戻すとの約束が交わされていたケースがあったという。鶴見臨海鉄道、南武鉄道など4社だった。いずれも浅野財閥系だった。
この4社は、「関東電鉄」として再スタートすることを計画し、国会でも返還が論議された。結局、実らなかった。戦後のインフレの中で売却価格が決められなかったとの説もあるが、筆者の山崎さんも書いているように、買収の主体が鉄道省から国鉄に移ってしまい、国鉄は路線返還は「他人事」と感じていたのだろう。
山崎さんは 国有化は人生における就職や結婚と同じような、運命だったとかんがえるしかないかもしれない と振り返っている。
約束通りになったら、今神奈川県を中心として大きな私鉄路線ができていたかもしれない。なんとなくロマンを感じる。その後国鉄はJRとなって私鉄化されたのも、歴史の皮肉というしかない。
さて読みどころは、実は本書の後半だ。琵琶湖、長野県の伊那谷、鹿児島を回る鉄道、北海道天塩線という4つのエリアに広がる在来線の栄枯盛衰を活写している。
伊那谷は私の故郷である。ここを走る鉄道は、実は4つの私鉄が国有化されて実現したものだ。そこまでは何となく知っていた。
ルートを巡ってさまざまな綱引きがあった。中央線は下諏訪から大きくS字を描いて、塩尻に向かう。なぜこんな迂回路を取ったのか。私も不思議だったが、本書を読んで理解できた。国鉄の歴史の本や、地元の市史などには書かれているのだろうが、一般に手に入る本でこういった詳細な説明を読めるのは有り難い。
直線で進むには標高約1000メートルの峠を越えないといけないため、工事に時間がかかる。当時は日ロ戦争(1904年)の影響で新潟の石油を東京方面に早く送る必要があり、早期完成のため、このルートが取られたのだという。
鉄道の路線は、やはり一般の利用者の利便性ではなく、戦争や、産業の育成の目的で決められてきた。近代の影が色濃く影を落としている。
この本を読んでから各地の鉄道に乗ると、いろいろ発見ができそうだ。
(レビュー:真人)
・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」