「AIで失業者が増える」という言説に含まれる誇張とは
ここ数年、技術の進歩が社会や経済、そして人の生き方を変える可能性がさかんに指摘されてきた。具体的にいえば「AIが人の仕事を奪う」とか「仮想通貨リブラでFacebookのいいねがお金になるかもしれない」とか「これからの子育ては理系教育だ」といったことである。
おそらく、この流れはしばらく続くはずだ。そして、多くの人は社会がすごい勢いで変わりつつあることはわかっているだろう。ただ、そうした変化を受けて、自分が何を身につけて、どう生きるかという問いは、なかなか答えが出しにくい。
■「AIで失業者が増える」に含まれる誇張とは
こういうことは、今だからこそ考えておくべきかもしれない。
『未来を生きるスキル』(KADOKAWA刊)は、これから生きていくうえで必要になる考え方や行動規範を示してくれる。
技術の進歩について、多くの人が気になるのは「自分の仕事はAIに奪われるのだろうか」だろう。ただ、この問いは、いわゆる「古くて新しい問い」である。というのも、新しい技術が喧伝されるたびに、「これで失業者が増える」といった不安を煽る言説はこれまで幾度となく出回ってきたからだ。
本書では、1980年代に「マイクロエレクトロニクス化で日本型雇用が終焉する」と囁かれていた例を挙げている。しかし、実際はマイクロエレクトロニクス化で失業者が増えたり雇用が減ったりといったことは起こらなかった。マイクロエレクトロニクス化はそれまで女性事務員が行っていた「コピー取り」のような単純作業をなくしたが、それは「タスク」という意味での仕事を奪っただけだ。コピー取りから解放された事務員はクビになったわけではなく、別のタスクが与えられたのである。
技術進歩によってなくなる「タスク」はあるかもしれないが、それは必ずしも「雇用」がなくなるという話ではない。あるタスクがなくなる代わりに新しく必要なタスクが生まれるし、ある職業が不要になる代わりに、別の職業が生まれる。その点でいえば、「新技術によって大量に失業者が出る」といった言説は誇張だ。
ただ、だからといって安心していいわけではない。
技術発展によって新しく生じた職業、つまりAIで代替できない仕事というのは、基本的に高度な知識とスキルを必要とする。たとえばAIが行ったデータ分析の結果をもとにアイデアや企画を出す仕事などだ。そして、こういうクリエイティヴィティが求められる仕事は、誰もができるわけではない。新しい仕事ができたとしても、自分にできるのは単純作業だけ、という可能性もあるわけだ。もちろん、こうした仕事は労働条件が悪いことが多い。
高い専門スキルを要する仕事は、一部の人が高収入を得るが、「その他大勢」は劣悪な環境下で働かざるを得ない。こんな未来がいつかやってくるとなると、私たちは「今のうちに付加価値の高い技術を身につけないと」という思考になりやすいが、「自分ひとりが世の中の変化に合わせて、適切なスキルで乗り換えていけば生き残れる」という考えにとらわれすぎることの危険性を本書は指摘する。
社会の変化の中で、個々人ができることは知れている。それよりも、「自分ができること」を個々人が持ち寄って、「協働」することが、未来を生き残るカギになるという。
「自分だけは」よりも「みんな一緒に」。
ではそれをどうやって実現するかがポイントだが、本書ではそのためのヒントを示している。1月は「今年の目標」のような形で近い未来について考える時期だが、もう少し遠い未来についても、本書を片手に考えてみてはいかがだろうか。
(新刊JP編集部)