だれかに話したくなる本の話

「影武者」は単なる主君の身代わりではない。その仕事の中身とは?

「影武者」という言葉。
主君の身代わりとして振る舞い、時には主君の代わりに襲われ、死ぬための人間。そんなイメージはないだろうか。

「あのとき死んだのは影武者で、実は別の場所へと落ちのびていた」と伝わる武将や貴人の伝説が多数あるため、そういった印象もあるかもしれない。
しかし影武者とは、もっと多様で優れた能力が求められる仕事だったようだ。

『戦国 忠義と裏切りの作法』(小和田哲男監修、ジー・ビー刊)は、戦国時代の武士たちの職種や暮らし、文化などを分かりやすいイラストと解説でまとめた一冊。 その中に「影武者」について触れている箇所がある。
本書によれば、影武者は緊急時以外でも様々な場面で活躍していたという。

■身代わりだけでなく、サポートも。影武者の仕事とは

たとえば武田信玄の弟、信廉は容姿が信玄と瓜ふたつであったため信玄の影武者を務めていた。信廉は教養人でもあったため、信玄が残したとされる和歌の作者だったともいわれているそうだ。

また、影武者は合戦を優位に進めるための一計として用いられることも多かった。大阪夏の陣の活躍で知られる真田信繁(幸村)は、六文銭の旗指物を掲げた影武者を何人も用意した。「我こそは真田信繁なり!」の掛け声とともに戦場のいたるところに現れた信繁に、敵兵は大混乱に陥ったという。

さらに織田信長の家臣・丹羽長秀は、影武者に安土城の設計を任せたという。
その人物は豊臣政権下で石田三成らとともに五奉行の任に就いていた長束正家だったとする説もあるそうだが、実際は定かではない。

このように影武者の仕事は多岐に渡っており、主君のことを様々な面からサポートする存在だったようだ。決して身代わりとして殺されるための、やられ役ではないのだ。

本書は他にも「リストラされても勝手に戦に出て復職を願った」や、「主君に呼ばれたら『あっ』と返事をするのがルール」など、当時の武士たちの様子を知る事ができる。歴史好きなら楽しめる一冊だ。

(ハチマル/新刊JP編集部)

戦国 忠義と裏切りの作法

戦国 忠義と裏切りの作法

戦国時代のバイプレイヤーともいえる“家臣”をテーマにした一冊。

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本業はデザイナーだが、成り行きで記事を書くことに。
好きなジャンルは時代小説・手芸本。

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