リリース40周年!ザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング』制作秘話
今から40年前、1979年は世界の大きな転換点だった。
イランでイスラム革命が起こり、親米のパフラヴィー朝が転覆、現在へと続く反米政権が誕生した。イギリスではマーガレット・サッチャーが首相となり、「サッチャリズム」と呼ばれる新自由主義的政策を推し進め、以後イギリスは失業率の急増にあえぐこととなった。
世界が揺れ動く1979年にこのアルバムが世に出たのは、ある意味必然だったのかもしれない。今年、発売40周年を迎えたザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング (London Calling)』である。
■1977年 パンク・ロックの歌詞はとにかく過激だった
ザ・クラッシュがデビューしたのは1977年。セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!!』、ザ・ジャムの『イン・ザ・シティ』、そして、ザ・クラッシュの『白い暴動』がリリースされ、ロンドンでパンク・ロックが一大ムーブメントとなった年である。
Anarchy for the UK
It's coming sometime maybe
I give a wrong time stop a traffic line
イギリスに無秩序が、おそらく、時々、やってくる。
俺はまちがったタイミングで交通を止めてやる(「ANARCHEY IN THE UK」SEX PISTOLS)
Yankee soldier
He wanna shoot some skag
He met it in Cambodia
But now he can't afford a bag
ヤンキーの兵士はヘロインを打ちたい
カンボジアで覚えたヘロイン
でも今は高くて買えない(「I'm So Bored With the U.S.A.」THE CLASH)
今ではとうてい考えられないようなこんな歌詞が、当時は飛び交っていた。中でもザ・クラッシュの楽曲の歌詞は、同時代の他バンドのものと比較してテーマ設定が具体的だったこともあり、その政治性と社会性において際立っていた。
■バンドの成功を決定づけたジョー・ストラマーの決断
ただ、知名度と経済的な成功は必ずしもリンクしないのがバンドの常でもある。ロンドン・パンクの中心的存在と認知されていたザ・クラッシュにとっても、それは同じだった。そして、ブームというものは、必ず下火になる。
『白い暴動』『動乱(獣を野に放て)』の2枚のアルバムをリリースしたものの、その後の活動に重苦しさを感じていた中心人物のジョー・ストラマーは、ある決断を下した。次のアルバムでは、ステレオタイプになりつつあったパンク・ロックのスタイルから離れる決断をしたのだ。
その決断が「パンク・ロックは消費された」と考えたゆえの計画的なものだったかどうかは定かではない。しかし、当時すでにセックス・ピストルズを脱退したジョニー・ロットンがPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成、レゲエにインスピレーションを受けたアルバムを発表するなど「ポスト・パンク」の動きは始まっていた。
『ロンドン・コーリング』の制作も、その一連の動きの延長線上にあったともいえるが、ストラマーはもっと早くから「パンク・ロックのスタイル」からの逸脱を志向していたようだ。『The Clash』(2008, Global Rythm Press)によると、パンクムーブメントが爆発した時、ストラマーはロックについて彼が見知っていたことを忘れるように努めたことを認めている。
「それは始まりへの回帰だったんだ。 “それまで知っていたこと”を捨てさせることからパンクは始まった。だから、新しい何かを作り上げる熱を得るためには、それまでの演奏手法を取り除かねばならなかった」
同じことの繰り返しが始まった瞬間、パンクは死ぬ。「一回性」の希求については、同じくパンクバンドINUのボーカリストであった町田康氏も、新刊JPが行ったインタビュー で、「ロックは一度で全部出し切ってそれで終わりというのが本質的にありますから、形骸化せずに継続するのは難しいことです」と言及している。
現状の反抗、ドグマティズムへの否定。ストラマーをはじめとする面々はそれをきわめて過激に、精密にやってのけた。パンク・ロックの闘争的なスタイルに、アメリカの伝統的な歌謡、レゲエ、スカ、その他世界の様々な音楽の要素を混ぜ込んだのだ。
ギタリストのミック・ジョーンズはリリース当時の雑誌取材でこんな発言を残している。
「パンクはどんどん狭苦しいものになっている。俺たちはどんなタイプの音楽でもできるんだ」
ジャケットのデザインをエルヴィス・プレスリーのデビューアルバム『エルヴィス・プレスリー登場!』に似せたのは、あるいはステレオタイプ化しつつあったパンクから離れ、アメリカの伝統的ロックンロールへと接近するというこのアルバムをコンセプトを象徴するものだったのかもしれない。
こうした音楽性の変化とともに、メディア広告と企業、極右政治家の増長、経口避妊薬に至るまで様々な社会問題をテーマにした歌詞を織り込んだこのアルバムがどんな成功を収めたかはいまさら言うまでもないだろう。
このアルバムがリリースされた40年後の今日も、世界は不安定化し、イギリスもブレクジットで揺れている。『ロンドン・コーリング』の音が古びて聞こえないのは、世界も私たちも、40年前からどうもあまり進歩していないようだからだろうか。
(新刊JP編集部)