医科、歯科、介護がシームレスに… 医療の世界で起こるイノベーションの最前線
6月21日、政府によって閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2019」(通称「骨太の方針2019」)の中に、国民の健康を保つために「歯科口腔保健の充実、入院患者への口腔衛生管理などの医科歯科連携に加え、介護、障害福祉関係機関との連携を含む歯科保健医療提供体制の構築に取り組む」という一文が明記されている。「骨太の方針」が歯科に言及するのは2017年からであり、以降その表現には厚みが増している。
「歯科保健医療の充実」がなぜ要求されているのか? 高齢化に伴う社会保障問題の深刻化、そして私たちの生活習慣や健康意識の変化の中で、今、医療の世界では「治療(キュア)から予防(ケア)へ」というパラダイム・シフトが起きている。その「予防医療」の中心に入り込んできているのが、「歯科」である。
総合人材サービスを手掛ける企業を経て、2006年に株式会社クオリア・リレーションズ(現:株式会社クオキャリア)を設立、歯科衛生士専門の求人サービスを展開し、業界で確固たる地位を築いている中山豊氏が執筆した『予防歯科シフト』(幻冬舎刊)は、なぜ今、予防医療において「歯科」が注目されているのか、そして「予防歯科」の中心を担う歯科衛生士とは何者なのかについて説明がなされた一冊だ。
今回の後編では、歯科業界の変化について聞いている。
(新刊JP編集部)
■変わる歯科業界。医科や介護との連携が必須に
――先ほどお話をうかがったように、中山さんはもともと歯科業界の人間ではなく、歯科衛生士の求人サービスで業界に参入しています。歯科業界は専門外の人でも参入しやすいのでしょうか?
中山:結論としては、入りにくい業界だったと振り返っています。浅はかな私は、開業当初、そういった懸念を持っておらず、後々苦労することになりました。また、私たちが参入してからここまで、様々な企業が入ってきては消えていく姿を見てきました。参入障壁の高さってこれのことなんだなあ、と。
――歯科衛生士の求人サービスというのは非常にニッチなビジネスですが、ビジネスの勝ち筋は始めるときからあったのでしょうか?
中山:どの規模のビジネスを狙って始めたのかによって、答えは変わるような気がします。5年で100億円規模を目指そうというのであれば、そもそも参入してませんよね。その規模はこのニッチな領域では望むべくもない。ただ、私自身は先ほど申し上げた通り、健康に対して関心があって、温泉を自分で始められないかなと思っていたくらいで(笑)。大きいことではなく、自分なんかでもできる、でもユニークなことを通して社会を変えていけたらというのが起業の原点。その意味で、事業は小さくも食べていける程度にはという勝ち筋はあったように思います。
このユニークという点については、今でもこだわり続けています。例えば、私たちの歯科衛生士求人サイトですと、各求人ページに事業所の歯科衛生士の人数がデフォルトで表示されています。事業所全体の人数だけでなくそこで働いている歯科衛生士の人数を表示することで、メディアへのエンゲージメントも応募反響力も高められます。ローカライズとか最適化とかいわれる姿勢や取り組みが、ユニークな何かを生んでいる一例です。
――なぜ、歯科衛生士の人数を表示することで人が集まるのですか?
中山:歯科医院の9割の診療所は従業員数が10名以下です。当然人間ですから風邪をひくこともありますよね? でも、その診療所で歯科衛生士が自分しかいなくて、患者の来院予約も入っている。そうなると、風邪を引けない。医療従事者ですから風邪をひいたら出勤できません。そうなると迷惑がかかってしまう。こういうリスクがまず一つあります。
また、新卒で、いきなり先輩の衛生士がいない中で仕事をできるかというと、難しいでしょう。医療の世界でいうと「プリセプター」、いわゆる普通の企業でいうところの「メンター」がいることが求められているわけです。
歯科衛生士のキャリアを考える上でも、歯科衛生士が一つの診療所に複数人いることが重要だということを、私たちが登場するまで業界的に認識されていませんでした。
――それは「クオキャリア」を運営する中で見えてきたことですね。他に歯科業界の中で見えてきた変化はありますか?
中山:大きいところでは、歯科医院が「家業」から「企業」へと変わってきているというところがあげられます。競争市場化した歯科業界。経営規模の大きな歯科医院の方が一般的には競争力が高く、そのため「家族とお手伝いさん」という旧来の家業文化から「経営者と従業員」という企業社会へと変化が進んでいます。一般企業の経営の中で生じる課題は、歯科でも起きるという時代になりつつあります。
また、これも重要な変化ですが、歯科業界自体が、他の業界との相違をきちんと理解できるようになってきていると感じています。
――他の業界との相違とは?
中山:冒頭でお話をした通り、治療から予防へという流れの前提にあるのは、社会の大きな変化です。地域包括ケアシステムの発展には、医科と介護の連携が欠かせませんが、歯科も連携主体の一つです。
高齢者に「歯が痛い」と言われても、看護師や介護士はその歯を処置することはできません。歯科と連携する必要があります。また、摂食嚥下(せっしょくえんげ:食べる・飲み込む)障害は、オーラル・フレイル(高齢とともに多くみられる歯や口の機能の虚弱状態)の中でも大きな問題として注目されていますが、これに単独で対応し得る専門職は存在していません。言語聴覚士と歯科衛生士、そして医師、歯科医師、看護師、管理栄養士、作業療法士らの専門性を結集しなければ対応できないのです。
――歯科が入らざるを得ないわけですね。
中山:そうなんです。例えば、肺炎は高齢者の死因の上位にありますが、その中の誤嚥性肺炎発症の主な原因は、歯周病菌だと指摘されています。歯周病を防げていたならば、死に至らなかった可能性もあるというわけです。となると、高齢者介護や医療に、歯科の専門家は欠かせませんよね。
ご存知ない方もいるかもしれませんが、医科と歯科はそれぞれ別個の業界として経済圏を形成してきました。人の交流も少ないです。今まで歯科医師は、歯科業界の中で通じる知識、用語、表現を使えれば生きていけましたが、今後は医科や介護といった別の高い専門性を有するフィールドの住人との間に信用を築く必要があり、そのためには一般常識や社交性、医科・介護知識、メタ的な歯科表現が求められます。歯科業界という村の中しか見ていなかった歯科医師たちが村の門を開けることは、ある意味で自らの蒙を拓き、歯科の価値と課題を再認識し直す機会となっているようにも思います。
――2017年以降、内閣府が発表する「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)には口腔と全身の健康のつながりについて触れられ、歯科保健医療の充実に取り組むことが明記されています。これは歯科業界にとっては大きい出来事だったのでしょうか。
中山:大きいはずです。新時代における歯科の存在価値が公に認められたということですから。日本の方針を示す重要施策の中に「歯科」という文言が入ったということは、むし歯治療のニーズが低下しても、新しい時代に新しい役割でもって歯科がこれまで以上に必要であると。
――今、歯科業界にはどんなことが求められていると思いますか?
中山:歯科業界にもイノベーションが求められています。しかし、一般性の低いローカルルールばかりを大事にしていると、一般社会では導入が進んでいる発想やテクノロジーを取り込めないまま、時代に取り残されてしまいかねません。医科・介護との連携にも支障が出ます。最適化コストは、その導入マーケットの大きさに応じて損得が判断されるわけで、「これだけ面倒なのに、歯科のためにそこまでできない、元が取れない」と思われてしまったら、さまざまな社会資産から見放されてしまいます。
しかし、「家業」から「企業」への流れの中で、今、歯科業界に新しい感性が育ってきていることは間違いありません。その変化は、指数関数的だと実感しています。
周辺企業の立場から見るならば、「歯科版」サービスの開発難度は以前よりも格段に低く、流用も効く。歯科と医科・介護が業界的にシームレスになっていくのであれば、歯科から参入して地域包括ケアシステム全体のマーケットへと展開できる可能性もある。面白いことが起きていくんじゃないでしょうか。
――中山さんのように、もともと歯科業界の外側にいた方でも参入できるようになってきている。
中山:敵を増やしたくはないですが、おっしゃる通りです(笑)。
――では、『予防歯科シフト』をどんな人に読んでほしいですか?
中山:どんな方にも読んでいただけたならとは思うのですが、これから面白いことが起こりそうな業界を探している方には特に。1か月間に歯科医院に通う人の数は約1200万人。日本の人口の約1割に、歯科医院はたった1か月でリーチします。歯科医院をチャネルに、社会に大きな影響をもたらす事業が可能です。そういうポテンシャルを歯科という領域に認めてくれたなら、書いた甲斐があるなあと思います。
(了)