七夕で願い事を書いた短冊を笹竹につるす風習はいつから広まった?
歌舞伎、浮世絵、七夕、お盆など、日本にはさまざまな文化や伝統行事が存在する。
これらについて「どういう行事ですか?」と聞かれたときに、すぐに説明できるだろうか?
『日本文化 ビジュアル解体新書』(山本素子著、小川かりんイラスト、SBクリエイティブ刊)では、長い歴史の中で独自の発展を遂げた伝統文化をピックアップし、イラストと写真を使って解説した一冊。
日本は、昔から中国大陸や朝鮮半島などの優れた文化を取り入れながら、長い年月をかけて発展し、独自の日本文化を生み出していった。
そのひとつが7月7日の七夕だ。1年に一度だけ織姫と彦星が会える日として知られている。その裏には一体何があったのだろうか? そして、なぜ願い事を短冊に書くのだろうか?
■短冊に願い事、一体いつから広まった?
七夕伝説は古代中国で生まれた。織姫と彦星は結婚した途端、遊び暮らすようになり、怒った天帝に引き離されてしまい、前述の通り1年に一度だけ、2人が合うことを許されたのが7月7日だ。
中国では古くから7月7日に、裁縫や技芸の上達を祈る「乞巧奠」という行事も行われていた。奈良時代に七夕伝説とともに日本に伝わると、宮中では7月7日の夜、供え物をして裁縫や技芸の上達を祈る行事を行うようになった。
私たちは七夕になると願い事を書いた短冊や飾り物を笹竹に吊るすが、その風習が生まれたのは、七夕が五節句の1つとされた江戸時代だという。この頃から七夕の行事が庶民にも広まり、特に江戸市中では盛んだったようだ。寺子屋で学ぶ手習いの上達を願い、願い事を書いて吊るしたという。
また、七夕は先祖の霊を迎えて祀るお盆の前に、穢れを祓い、身を清める行事であったともいわれている。七夕送りといって、七夕の翌日に七夕飾りやお供え物を水に流す風習もあったといい、現在では青森のねぶた祭りや秋田の竿燈祭りなどが、今も禊の行事としての姿を残していると説明されている。
また、仙台七夕まつり、湘南ひらつか七夕まつり、安城七夕まつりは、日本3大七夕祭りとして有名だ。
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知っていて当たり前だと思っていたことでも、いざ説明するとなるとうまくできないもの。本書をきっかけに、日本の文化をおさらいしてみてはどうだろう。新しい発見もたくさんあるはずだ。
(新刊JP編集部)