日本軍はこうして敗戦に向かった…衰退する組織で起こる「兆候」
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉がある。
ならば、「歴史から何らかの気づきを得る能力」は、私たちが「賢者」たれるかを決定づける一つの要素だろう。それが見習うべき成功事例としてにしろ、反面教師としての失敗例にしろ、である。
■歴史から浮かび上がる「過ちがくり返される構造」
企業や企業内の部署、役所、スポーツのチームなど、どんな組織や集団でも、機能不全に陥り、衰退する時は人的な問題が起こっている。だからこそ、山一証券や東芝など巨大組織の破たんや不正が発覚した時、内部で何が起きていたのかがしきりに検証される。「歴史に学ぶ」ためである。
日本の歴史上最大の失敗である敗戦も、やはり人災である。
『日本のいちばん長い日』など、昭和史にまつわる著作で知られる作家・半藤一利氏は、著書『語り継ぐこの国のかたち』(大和書房刊)で「ノモンハン事件」にさかのぼる。氏いわく、「ノモンハン事件」は、日本人や日本の組織が陥りやすい欠点が象徴的に表れているのだという。
「ノモンハン事件」とは1939年に起きた、満州国(日本の傀儡政権)とロシアの軍事衝突である。
この事件はシンプルに言えば国境紛争だ。どこまでが自分たちの領土かを争った結果、ロシア軍、日本軍ともに多大なダメージを負ったが、国境線はロシアの言い分が通る形で確定した。死者こそロシア軍の方が多かったが、戦争の目的を果たせなったことを考えれば日本の「敗北」である。
本来であれば、日本はこの戦いを検証して自軍の改善点を洗い出さなければならなかった。実際、ロシア軍が機関銃や戦車といった近代兵器を使っているのに対して、日本軍は三八式歩兵銃という明治時代の武器と、装甲の薄い貧弱な戦車が主力である。まず兵器を近代化しなければ、という議論にならないとおかしい。
当時の陸軍でもこの戦闘の検証は行われたのだが、その結論は「国軍伝統の精神威力をますます拡充するとともに、低水準にある火力戦能力を速やかに向上せしむるにあり」というものだった。
武器戦力増強よりもまず「精神力の拡充」が先に来ており、反省点の洗い出しというよりも「劣った武器で互角に戦った精神力」を誇っているようにすら読める。半藤氏によると、この結論に至った背景には、日清、日露、日中と無敗できた軍部の思い上がりがある。「不敗神話」を本気で信じてしまった人がいたのである。
日本軍はノモンハン事件の失敗から何も学ぶことができなかった。もしかすると、それが失敗だという共通認識もなかったのかもしれない。
だからこそ、軍は兵器で圧倒的に劣っていることを広く知らせることはなかった。プレゼンスが大きくなりすぎ、傲慢になった結果、対外的に弱みを見せることができなかったのだ。当然三八式歩兵銃に代わる新たな武器の開発がされることもなく、時代遅れの歩兵銃を握りしめたまま日本は一年半後の太平洋戦争に突入していくことになる。
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実力を過信したことによって問題点が見えにくくなり、弱みを人に見せられなくなった結果、適切な改善がなされない。これは組織が低迷していく時に共通してみられる兆候だろう。その意味で「ノモンハン事件」は現代に生きる私たちにも示唆を与えてくれる。この他にも、本書では日本が歩んできた道のりに残った、失敗例や成功例が数多く紹介されている。いずれも、時代の転換期を迎えている現代の日本のヒントになるものばかりだ。
未来に生かしてこそ歴史を知る意味がある。半藤氏が本書で綴る歴史からは、自分の行動や自分のいる組織をよりよくしていくためのヒントが見つかるはずだ。
(新刊JP編集部)