誰もがお世話になったあの固形燃料を開発した会社は、創業時から環境に優しかった
■名経営者を育んだのは、ロシアでの学びだった
ロシアは日本にとって遠い国であったが、戦前から知識人に対して文化的影響をあたえていた。そして戦後には、民主的革新運動が盛んになるにつれ、うたごえ運動でロシア民謡が多く歌われるようになり、一般大衆にも少しずつ身近なものとなっていった。
『どん底企業から東証1部へ――二度の倒産から東証一部上場を果たした企業の成長の要諦』(森田千里雄著、ダイヤモンド社刊)の著者で、業務用洗剤や固形燃料を製造する株式会社ニイタカ会長の森田千里雄氏の長兄は、戦後シベリアに抑留されていたのだが、当時のソビエト連邦流の教育に接し、好印象を持っていたという。それもあってか、6人兄弟の末っ子で経済状況が厳しい中、大学に行きたいと考えていた森田氏に、渡航費から授業料、生活費まで提供してくれる、ソ連の民族友好大学への留学を勧めてくれたのだ。
森田氏は、担任教師の反対を押し切り1963年、モスクワに向かった。森田氏自身もソ連に対して悪い印象を持っていなかったと言う。そして、無事同大学で化学を学び卒業する。
教授はすこぶる厳しい人たちだったようだが、その厳しさによって森田氏の真理を追究する姿勢が育まれた。また、異国の地で多文化に触れ、多くの人々の影響を受けつつ暮らし、学んだことが、共助の心を育んだのだろう。