陰謀論やトンデモ説はなぜ生まれるのか? 歴史研究者・呉座勇一さんに聞く(1)
出版業界の最重要人物にフォーカスする「ベストセラーズインタビュー」。第97回となる今回は、角川新書より『陰謀の日本中世史』を出版した気鋭の歴史学者・呉座勇一さんです。
呉座さんといえば2016年に出版された『応仁の乱』(中公新書)が大ベストセラーとなりましたが、本書『陰謀の日本中世史』も3月9日の発売から4日で重版決定、16日時点で7万5000部まで伸ばしており、2018年注目の一冊になること間違いなし。
そんな本書のテーマは「陰謀論メッタ切り」です。私たちがよく一般書やドラマに小説、マンガで触れている日本中世史の話の中には、史料を念入りに洗っていくと、事実とは言えないものがたくさん出てきます。
「本能寺の変に黒幕はいた」「関ヶ原の戦いは家康の陰謀」「義経は陰謀の犠牲者だった」――こうした陰謀論をロジカルに、そして徹底的に様々な角度から検証することで見えてくるものは、トンデモ説やフェイクニュースが生まれる原点でした。
歴史学者の持つ視点やその仕事術は、情報が氾濫する現代に生きる私たちにとっても大いに参考になると感じた今回のインタビュー。本のエッセンスから情報との向きあい方まで幅広くお話を聞いてきました。
(取材・文・写真/金井元貴)
■構想3年、日本史に蔓延る陰謀論をぶった切る新書がついに登場!
――「あとがき」にも書かれていましたが、この本は『応仁の乱』とほぼ同時期に構想を練り始めたそうですね。
呉座:そうです。今から4年以上前になるのですが、角川書店の編集者の岸山さんからお茶に誘われ、新著を書いてくれませんか? と。2人で茶飲み話をしながらテーマを検討していたのですが、その中で「陰謀」という切り口が出てきまして、これは現代の問題にも通じると思ったんです。
というのも、ここ数年フェイクニュースや陰謀論が問題になっていますが、あれらはソース、情報の出所が良く分からない。それは歴史研究の世界でも同じで、例えば「本能寺の変」をめぐる議論に、歴史学者はほとんど関わっていないんです。学界の人間は「本能寺の変の黒幕はこいつだ!」みたいな本は書きません。では、誰が書いているのかというと、作家や在野の歴史研究家たちであり、彼らが考えたあやしげなトンデモ説が「新説」として広まってしまっている現状があります。
それこそ衝撃を受けたのが、明智憲三郎さん の説ですね。明智光秀の子孫を称している方ですが、『本能寺の変 431年目の真実』で本能寺の変について奇説を展開されています。
――ベストセラー(*1)になった本ですね。呉座さんはこの『陰謀の日本中世史』で明智さんの説を徹底的に批判されています。
呉座:そうしないとまずいなと。というのも、おっしゃる通り明智さんの本がベストセラーになっている状況であり、「明智光秀の末裔を称する人が何かおかしなことを言っている」と笑ってはいられない影響力を持ちつつあります。
(*1…『本能寺の変 431年目の真実』は出版元である文芸社のウェブサイトによると現在40万部)
ただ、学界はこういうことにはノータッチのスタンスですから、いつか誰かがどうにかしないといけないと思っていました。
――なるほど。そのような問題意識があって、このテーマで書く必要性を感じられたわけですね。
呉座:それが一つですが、他にもあります。ビジネス誌の「歴史に学ぶ」というような特集で、経営者や識者が歴史小説を推薦図書にあげることがありますよね。“これを読めば歴史が分かる”という文脈で薦められていることも結構多く、問題だなと思っていました。
そもそも陰謀論は、小説の延長のようなところがあります。「これはフィクションです」と前置きしていればいいのですが、 作家の中にはフィクションであり、ノンフィクションでもあるような微妙な書き方をされる方もいるんですね。そうすると、読者が「これが真実なんだ」と思ってしまうわけです。一方で、歴史学界が「これはどうなの?」と突っ込むと、「あくまで小説ですから」と言われてしまう。
陰謀論はフィクションとノンフィクション、史実と空想の境目が曖昧なところに生まれます。だから、小説のネタとしても使えるし、真実のように話をしても受け入れられるんですね。しかし本来、史実と小説は厳密に区別すべきです。本書で司馬遼太郎の『関ケ原』を批判的に取り上げたのも、そういう問題意識からです。
■一次情報でも信ぴょう性がないことも? 「史料批判」の大切さ
――よく「正しい情報を見極めるためには一次情報に当たりなさい」と言われますが、この本を読むと「一次情報」の正当性や妥当性、どんなバイアスがかかっているかまで考えないといけないことが分かりますね。
呉座:大学や研究機関に所属している歴史学者と、在野の歴史愛好家の一番の違いは、まさにそこにあります。専門用語で「史料批判」というのですが、歴史学者の仕事は史料の妥当性、正当性、信ぴょう性がどれだけあるかということを厳密に評価することなんですね。
もちろん知識も大切ですが、特定の分野に限った知識量だけなら歴女の方々や在野の歴史研究家の方が詳しいことも多いんです。でも、そういった人たちは史料の信ぴょう性を評価しない。結果、信頼できるかどうか分からな いあやしげな史料を信じてしまい、トンデモ説を流布してしまうということが往々にしてあります。
陰謀論やトンデモ説を唱える人は、必ず何かしらの根拠を持ってそれを提唱します。ただ、その根拠となる記述が本当に正しいのか、信頼できるものなのかどうかまで厳密に精査できていません。自分が考えていた説に都合の良い記述があると、それを信じて鵜呑みにしてしまうことってよくありますよね。実はその部分がプロとアマを分かつ最も重要な部分であり、この本で強調している部分でもあるんです。
――信ぴょう性の話でいえば、あやふやな医療情報がネット検索のトップに来たり、専門外の医者ががんについての本を書いたりすることが問題になっています。書いた人はどんな人なのか、どの情報に基づいて書かれているのかまでちゃんと考えず、情報を鵜呑みにしてしまっている人も多そうです。
呉座:そこが最も重要なポイントですね。その史料がどのようにして成立したのか、いつ誰が何の目的でつくったのか、そこまで考えないと危ない。特に今のインターネットは玉石混淆で、さまざまな情報がありますし、検索上位にトンデモ情報がきたりするわけですよね。上にあるからといって信ぴょう性があるとは限りません。
私が大学で非常勤講師をしていたときは、この情報を精査する力を重要視していました。歴史研究の根本は、「史料批判」を含めて史料をどのように読むかということです。それはつまり、情報の取捨選択をするということであり、玉石混淆の史料の中から正確な情報を引き出すスキルが求められます。
これは、現代を生きる我々、特に社会人にとっては不可欠な能力ですよね。だから大学で教えるときも、このスキルを教えないといけないと思っていました。
――本書の終章「陰謀論はなぜ人気があるのか」を読んだときに、呉座さんはおそらくこの章を書くために、日本中世史の陰謀論をずっと検証してきたのではないかと思いました。
呉座:まさに終章が最も伝えたいことなのですが、そこだけだとお説教のようになってしまうので、実際にどう論破していくか実例を示していったわけです。
ただ、陰謀論だからといって最初から馬鹿にするのではなく、きちんと歴史学的に精査していく、冷静に信ぴょう性を評価していくことに努めました。どんな情報でもそういう態度で対峙すべきですしね。
(中編に続く)
■呉座勇一さんプロフィール
1980(昭和55)年、東京都に生まれる。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。2014年『戦争の日本中世史』(新潮選書)で第12回角川財団学芸賞受賞。『応仁の乱』(中公新書)は47万部突破のベストセラーとなった。他著に『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)がある。