「まずは従業員の顔が浮かんだ」M&Aに対峙する経営者の心情とは
今、地方の中小企業にとって大きな課題となっているのが後継者問題だ。
年齢を重ね、次の人生の選択を考えるとき、それまで経営してきた会社をどうすべきか――。そんなときに役立つのがM&Aの知識である。
丸善お茶の水店のビジネス書で1位(2024/8/19-25)になった『経営者のゴール: M&Aで会社を売却すること、その後の人生のこと』(あさ出版刊)は、M&Aを取り巻く状況や、実際に進めるとなったときに経営者に何が起き、どのようなことに悩むのか、経営者の心情に寄り添うように説明する一冊だ。
ここでは本書の著者で自身も自社のM&Aを経験している芳子ビューエルさんに、M&Aの実際についてお話をうかがった。M&Aを前にして経営者だけが抱える葛藤とは。
■「会社は経営者にとってのアイデンティティ」それを手放すという不安
――本書はM&Aについての書籍の中では特に経営者の心情に寄り添うように書かれています。M&Aを決断し、進める中でいろいろな葛藤や不安があることがうかがえますが、ビューエルさんご自身も自社のM&Aを経験されているということで、実際にどんな葛藤を抱えていたのかお聞かせください。
ビューエル:これは最初から最後まで抱えていたのですが、一番は「本当にこれでいいのか」という葛藤ですね。M&Aを考えたり、進めている経営者の方であれば、どんな人でもこの迷いは拭えないのではないかと思います。
社員がどう思うのだろうとか、ステークホルダーはどう思うかとか、本当にこの選択で正しかったのだろうかといった、見えない部分に対して不安がありました。
――そうした不安を話せる相手はいたのですか?
ビューエル:M&Aは他人に話してはいけない内容も多くて、気軽に相談することができないんです。だから、他の方々はこの不安をどうしているんだろうと思っていましたね。
――経営者の方々にとって、M&Aという選択肢があるということはまずどのようにして知ることが多いのですか?
ビューエル:個人的な感覚としては、ここ最近M&AについてのDMが多くなったと思いますね。また、後継者不足からM&Aという選択肢があるということを、聞く機会が多くなったようにも感じます。
ただ、知ったからといって、すぐに会社を売却しようという話にはあまりならないと思っていて、やはり会社って経営者にとってのアイデンティティなんですよね。それを手放すということはやはり不安だと思います。
――わが子のような存在なんですね。
ビューエル:特別な存在ですよね。24時間いつも会社のことを考えているのが経営者です。資金繰りとか、人事の問題とか。それが今後考えなくてもいいんだよ、心配しなくてもいいんだよとなったときに、自分はどうやって生きていけばいいの?と急に不安になる人もいると思うんです。
特に後継者不在の会社の場合、高齢な経営者も多いでしょう。ずっと会社経営に身を捧げてきた人にとっては、会社がない生活は考えられないと思います。もちろん、「今まで一生懸命やってきたんだ。これからは毎日ゴルフをして楽しむぞ!」という人もいるかもしれませんが。ただ、どちらにとっても会社は特別な存在なんです。
――本書はAさんという60歳の経営者がM&Aについて教えてほしいとビューエルさんのもとを訪れるところからスタートします。その中でM&Aの説明をしながら、メリット、デメリットについても解説していくわけですが、このM&Aの経営者視点でのメリット、デメリットという点はどのようにお考えですか?
ビューエル:メリットでいうと、私は雇用の維持が第一だと思います。会社には従業員がいて、従業員の家族がいる。自分をサポートしてきてくれた従業員の生活を守れるという点は本当にありがたいです。廃業を選ぶとみんな仕事を失くす可能性がありますから。
――まずは従業員の顔が思い浮かぶわけですね。
ビューエル:もちろんです。自分が会社を売却するという決断をしても、従業員たちはそれを裏切りだと思うんじゃないかと不安にもなります。私自身、それが最初に頭に浮かびましたね。
また、自分の場合、思っていた以上に会社の売却価格が多かったんです。ある程度の見通しは立てていたけれど、最終的な提示額を見るまではいくらになるか分かりません。その中で思っていた金額よりも多かったことは、その後の人生を考える上での安心材料になりましたし、区切りをつけるという意味でも良かったですね。
それに、M&Aによって銀行の個人保証・担保から解放されるということはインパクトがありましたね。中小企業の場合、個人保証をしている経営者も多いと思うのですが、これは大きな負担ですし、プレッシャーにもなります。
普段はそれを忘れることもあるのですが、M&Aをして保証・担保から解放されて、胃の緊張がふっと緩くなったように感じました。
――デメリットという点ではいかがでしょうか。
ビューエル:これは何度も繰り返しになりますが、会社への愛着は人一倍なわけですから、社長じゃなくなるということへの寂しさは大きいと思います。
■M&Aは単なる身売りではない
――事業承継を考えたときに、本書では3つのパターンがあると書かれています。「親族内での承継」「役員・従業員への承継」「M&Aで社外の第三者への承継」です。3つのパターンの中ですと以前なら「親族内での承継」をまず考えていたかと思いますが、現在の状況はどのようになっていますか。
ビューエル:私のところに相談にいらっしゃる方にも、子どもが会社を継いでくれると思い込んでいる人は少なからずいます。ただ、「お子さんの意向は聞いていますか?」と聞くと、「聞いていない」と。それで実際に子どもに聞いてみると、「苦労している親の姿を見て、自分は事業を継承したくない」「自分のキャリアを進みたい」と言われるんです。まずは子どもとコミュニケーションを取りましょうとアドバイスをします。
――「役員・従業員への承継」という点ではいかがでしょうか。
ビューエル:もし、すごく有能な従業員がいれば、その人に継いでもらう選択肢はあると思います。ただ、そこで問題になるのがお金ですね。会社の株式を取得するための資金力がなかったり、銀行への個人保証や担保の引き継ぎができない場合があります。クリアすべき課題は多いのが実際です。
――そうなると「M&Aで社外の第三者への承継」というパターンは大きな選択肢の一つになってきますね。
ビューエル:そうなんです。本書を通して、M&Aを単なる「身売り」として捉えてほしくないという思いがあります。例えば株を増資する形でファンドに入ってもらって自社の業績を上げて最終的にまた自社を買い戻すこともできますから可能性が広がる一つの手段だと思っています。
(後編はこちらから)