「自分はリーダーに向いていない」と思う人こそ知るべきリーダーシップの本質
この部署を率いてほしい。
次のキャプテンをやってほしい。
生徒会長に立候補しない?
学校でも会社や組織でも、ある集団を率いる「リーダー」になってほしいと頼まれて、二つ返事で「やります」と言える人はきっと多くない。ほとんどの人は「自分には荷が重い」「大変そう」「資質がない」と考えて尻込みするだろう。
きっと脳裏には有名な経営者や起業家、スポーツ選手といった「理想のリーダー」がちらつき、「自分はとてもそこまでの人間ではない」となってしまう。でも、結論を待つのは少し待ってほしい。
本当にリーダーには人並外れた才能が必要なのだろうか?それに、「理想のリーダー」として頭に浮かぶ面々は、あなたのチームに入っても「優秀なリーダー」でいられるのだろうか?
◾️「あるべきリーダー像」に当てはまる人間はほぼ存在しない
『無重力リーダーシップ』(礒谷幸始著、クロスメディア・パブリッシング刊)は、現代のリーダーのあり方についてこんな問いを投げかける。そもそも、上位下達式のリーダーシップが淘汰され、リーダー像が多様化している現代において「リーダーに欠かせない資質」などもはや存在しない。ましてAIがさまざまな質問に答えてくれる時代である。リーダーはもはや「ある一握りの人々」にしか務まらない役割ではなくなり、敷居がグッと低くなっているはずだ。だとしたら、リーダーというものをもっと自由に、もっとカジュアルに考えていいはずだ。そんな考えから、本書では「無重力リーダーシップ」を提唱している。
リーダーシップについての一般的なイメージはどのようなものだろう。
・グループや組織を導き、目標達成に向けて推進する力
・人を惹きつけて団結させるカリスマ性
・自分のビジョンや考えを明確に伝えるコミュニケーション能力
・チームの問題の本質を見抜き、対処する問題解決力
・新しいアイデアを生み出す革新性
その他にも人間関係構築力やミッションをクリアするための情熱、倫理性などもイメージできるかもしれない。
これらの力のいくつかを備えている人はいるかもしれない。しかし、すべてを高いレベルで備えている人は超人である。一人の人間がこれらすべて持っていることなど、およそ考えられない。頭の中で勝手に思っている「リーダーとはかくあるべき」というリーダー像に当てはまる人間は、実は存在しない。そう考えると、リーダーシップを気楽に考えられるのではないか。
◾️誰もがすでに「リーダー」である
もう一つ、「自分にはリーダーなんてとても無理」と思っている人であっても、日常生活の中で必要に応じてリーダーシップをとる瞬間は必ずある。つまり、すでに誰もがリーダーを経験しているのである。
たとえば、「今週末、仕事終わりに飲もうよ」と同僚を誘って飲み会を設定するのだってリーダーシップだし、飲み会を始める時に「何飲む?ビールの人」と注文をまとめるのだって一種のリーダーシップだ。カップルにおけるプロポーズもどちらかが主導しているという意味でリーダーシップである。
何もスポーツ競技のキャプテンや経営者、管理職だけがリーダーシップを求められるのではない。リーダーシップとは生活の端々で、私たちがすでに発揮しているものなのである。
それは上司が部下に発揮することもあれば、部下が上司に発揮することもあり、子どもが親に発揮することもある。上から下の一方向ではなく、多方向に向けられる点で、リーダーシップとは「無重力」なのかもしれない。そして、上記のようにビジネスだけではなくプライベートのごく近しい人間関係のなかでもリーダーシップが必要とされ、実際に使われていることを考えると、リーダーシップは個人が幸せに生きるために必要とされる能力だともいえるだろう。
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生活や仕事の場面に応じて、誰もがすでにリーダーの役割を果たして、リーダーシップを発揮している。チームを率いたり、部署をまとめることは、こうしたことの応用にすぎない。このようなリーダーシップの本質を理解すれば、仕事やスポーツでリーダーの役割を担うことへの抵抗や気負いは少なくなるはず。
では、この「無重力リーダーシップ」をビジネスの場面に応用していくためには、どんなことを知り、何をすべきなのか。本書を手に取って確かめてみてほしい。
(了)