だれかに話したくなる本の話

『古事記』に頻出する奇妙な数合わせの謎に迫る迫真の一冊

歴史には真相がわかっていない謎が多くある。
特にはっきりとした記録がほとんど残っていない古代史は、未だ謎のベールに包まれている。

日本最古の書物とされる『古事記』は、古代日本を読み解く貴重な資料であるとともに、そこに孕まれた多くの謎が研究者たちを惹きつけてきた。『古事記の秘める数合わせの謎と古代冠位制度史』(牧尾一彦著、幻冬舎刊)は、『古事記』を、本文中に頻出する「数字」に着目して読み解くことを試みる野心的な書である。

◾️謎に包まれた『古事記』に頻出する数合わせ

古くから多くの学者や知識人が『古事記』を読み解こうとしてきたが、その本質に至ったかといえば、決してそうは言えない、と指摘するのが本書の著者の牧尾一彦氏である。

古事記は、一体何を語ろうとした書物であったのか、ということすら釈然としない、そのような書物であり続けていると言って言い過ぎではない。古事記は、いまだに深々とした謎を秘めた書物である。(P4より)

そもそも、古事記とは、神代から天孫降臨説話を経て神武天皇の誕生までが語られる上巻、神武天皇から第15代応神天皇までの中巻、そして第33代推古天皇の系譜までの下巻からなる年代記である。

注目すべきは、この長大な書物のところどころに奇妙な「数合わせ」が見られる点。本書で注目しているのはこの「数合わせ」である。

◾️「10-1=9」と「2・5・9」

たとえば、古事記の中には、「仁徳天皇が又丸邇池(わにのいけ)、依網池を作った」など、天皇が池を作ったとする記事がある。5人の天皇について同様の記述があり、のべ10の池を作ったことになっている。

ただ、10の池のうち1つが重複しているため、実際の池の数は9だった(10-1=9)と考えられる。また第12代景行天皇の最初の妻には5人の皇子(「五柱」という分注が添えられている)があり、この分注がないその他の6人の妻との間に計10人の皇子を設けた。しかし、最後の1人は景行天皇が自分の玄孫を妻にして設けた子ども、という記述がある。とてもではないが現実にはありえない、ということで、ここでも「10-1=9」という計算が成り立つ。この「10-1=9」のパターンが古事記の中には不自然なほど多く存在するのである。

また、須佐之男命(すさのをのみこと)の子どもである大年神には3人の妻がいて、それぞれの子どもは「五神」「二柱」「九神」とされていたり、反正天皇の身長が「九尺二寸五分」とされているなど、「2・5・9」の組み合わせも古事記にはよく出てくるもので、何らかの意図があったのではないか、と想像を膨らませたくなる。

これらの数字の組み合わせはただの偶然ではないという観点から、本書は古事記を分析していく。元明天皇の命を受けた太安万侶によって編纂されたとされる古事記には、意味深で、含意を想像せずにはいられない記述があまりに多い。

真実は知る由もないが、遠い昔に日本にいた人々に想いを馳せることができるロマン溢れる一冊だ。

古事記の秘める数合わせの謎と古代冠位制度史

古事記の秘める数合わせの謎と古代冠位制度史

驚くべき数合わせの真相とは――

古事記の誕生から1300年。
その胎深く秘められ続けていた数合わせの発見により、これまで解き明かされることのなかった真実が闡明される。

※記事で取り上げている書籍を購入すると、売上の一部が新刊JPに還元されることがあります。

この記事のライター

新刊JP編集部

新刊JP編集部

新刊JP編集部
Twitter : @sinkanjp
Facebook : sinkanjp

このライターの他の記事