「要注意な隣人」は家のここを見ればわかる!
「隣人は選べない」という言葉は、家探しや引っ越しの際は心にとめておくべきだ。どんなにいい家に住んでも隣人への不満やトラブルを抱えてしまっては快適な生活は送れない。でも、住む前から隣にどんな人が住んでいるかはわからない。
『住んでる人の性格は家と土地が教えてくれる』(平田真義著、自由国民社刊)は、土地家屋調査士としてこれまで2000軒以上の住宅を訪問してきた著者が、家の外観と住人の性格との関連性を探っていく。住んでいる人の人となりは、住居に如実にあらわれる。
では、「お隣さん」はどんな人なのかを知るために、家のどこに注目すればいいのだろうか。著者の平田さんにお話をうかがった。今回はその後編だ。
■「ゴミ屋敷」の中から聞こえた音の正体は…
――家や土地を見た印象と住人の印象が合致するケースもあれば、合致しないケースもあったかと思います。平田さんが訪問した家で、もっとも家と住人が合致しなかったケースについて教えてください。
平田:いわゆる「ゴミ屋敷」に住んでいる人は、意外な人が多かったです。これまでに5軒ほど経験があるのですが、ゴミ屋敷から想像するような「クレイジーな方」というのは案外少なくて1軒だけでした。あとの4軒はまったく普通というか、常識的な方ばかりでした。
――「ゴミ屋敷」というのは、どの程度のゴミ屋敷なのですか?
平田:庭が廃品だらけという感じですね。生ごみが放置されているというのではなくて、いわゆる「不燃物」で散らかっているという。
たとえば乗れなくなった自転車だとか、物干しざおや物干し台とか、あとは使わなくなったボードゲームだとか。不用品が捨てられずに庭いっぱいに放置されているという感じです。
――そこに住んでいる方々は「常識的」な中に特徴のようなものはあったのでしょうか。
平田:庭を見るともう手の付けようがない状態なんですけど、お話すると、自分より他人に一生懸命になってしまったり、あまりに多忙そうだったり、自分を犠牲にしてでも他人に尽くしてしまう人なんじゃないかと思わせるものがありました。まじめな方が多い印象ですね。
――1軒だけあった「クレイジーな方」のお話もお聞きしたいです。
平田:すごかったですね。インターホンを押しても全然出てきてくれなかったんですけど、耳を澄ますと家の中で大音量で何かを聴いていて、それがよくよく聞くとアダルトビデオなんですよ。
すいません、と呼びかけたら出てきてくれたんですけど、顔を合わせるなり「帰れ!」と。家の中もゴミだらけですさまじい状態でした。その後も何度かうかがったんですけど、結局お話することができずじまいでした。
――ほとんどの人はインターホンを押したら応対してくれるわけですか?
平田:そうですね。訪問する日時は事前に書面でご案内していますし。ただ、今年に入って強盗事件が多発したこともあって、居留守を使われることもあります。
――逆に、家や土地を見た印象と、住人の印象が合致したケースについてもお聞きしたいです。
平田:家の古さや新しさ、大きさにかかわらず、家や庭を大事にされていて、手入れが行き届いている人は、訪問してもやはり丁寧に対応してくださいますね。特に庭は心の中を投影すると思っています。
――また様々な人の自宅を訪問するなかで、怖い体験やゾッとした体験などがありましたら教えていただければと思います。
平田:一度だけ経験があるのですが、監視カメラがやたらとあちこちについていて、塀に有刺鉄線が張られているお家を訪問したことがありまして、どんな人が出てくるのかと思ったら、見るからに“その筋の人”らしき方が出てきた時は怖かったです。
事情をお話ししたら「ああ、そういうことね」と了解いただいて、立ち会っていただけたのですが。
――これから家を買ったり引っ越したりするとなった時に、近くにどんな人が住んでいるのかはわかりません。「隣がこんな家だったら要注意」といったものはありますか?
平田:集合住宅の場合は共用部分を私物化している方は注意した方がいいかもしれません。程度の問題だとは思うのですが、露骨にスペースをふさいでいるようだと、住んでいる人は自己中心的な方だと考えられます。
戸建てについても基本的には同じで、庭の木があからさまに自分の家の方にはみ出していたり、廃品が度が過ぎるレベルで捨てられていたりといった家ですね。「自分さえよければいい」という考え方は不動産にあらわれるんです。そういう家の見た目から得た印象というのは大事にした方がいいと思っています。
――最後になりますが、読者の方々にメッセージをお願いいたします。
平田:自宅はやはり憩いの場であるべきで、ストレスなく過ごせるのが一番ですが、そのためには隣にどんな人が住んでいるのかっていうのは大事な要素ですし、知らず知らずのうちに自分がお隣に迷惑をかけている可能性もあるわけです。そういったことにこの本を通じて気づいていただけたら、著者としてはうれしいですね。
(新刊JP編集部)