母親ががんに罹り晴れ晴れとした顔で現れた娘…毒親に育てられた子どもたち
虐待やネグレクト、過干渉などによって我が子に害を与える親を指す言葉として「毒親」というワードが使われるようになって久しい。
「一部の異常な人」というイメージを持たれがちだが、実際には毒親は「一見、普通な人」の中にもいる。『毒親の彼方に』(幻冬舎刊)はそんな毒親の実態と、毒親に育てられた子どもたちがいかに親に苦しめられ、そして解放されていったかを、カウンセリングの現場で起きた実例を挙げてつづる一冊。
人はなぜ毒親になるのか。そして毒親にならないためには何が必要なのか。自分の親が毒親だと気づいた時、どうすればいいのか。毒親を巡るさまざまなテーマについて著者の袰岩秀章さんにお話をうかがった。その後編をお届けする。
■母親ががんに罹り、晴れ晴れとした顔で現れた娘
――子どもにとっては、自分を苦しめる親から物理的、心理的に解放されるというのが一番いい結果なのでしょうが、そこに至るまでの道のりは長い印象も受けました。自分が親によって苦しんでいることにまず気づくことが必要ですし、気づいたとしても現状を変えようという発想になるかどうかはわかりません。家族のことなので耐えるしかないと考える人もいるでしょうし。
袰岩:ほとんどの人は、まずは自分でどうにかしようと考えます。そして誰かに相談するということも含めていろいろなことを試みるのですが、おっしゃる通りそこは家庭の中のことですから結局は親に追随したり、ひたすら耐えるという結果になりがちです。
おそらく親によって苦しめられている現状をどうにかしようと思い続けられる人は、それほど多くないはずです。ただ、そういう人が何かきっかけがあってカウンセリングにいらっしゃると、うまくいくことが多い。何年も親の問題について考え続けてきたからこそ、カウンセラーであるこちらの言葉の意味がよく通じて、これからの指針を見つけやすいということだと思います。
――子どもから「うちの親はちょっとおかしい」と思われている親は、おそらく自分ではそこまでおかしい自覚はないような気がします。まして自分が「毒親」だとは考えていないのではないでしょうか。
袰岩: そうですね。本の中で紹介したように、親の方は自分に問題があるというよりも「娘を何とかしてほしい」ということでカウンセリングにいらっしゃることがほとんどです。
――本書では毒親とその娘についてのさまざまな事例が取り上げられています。中でも印象的だったのが、自分の母親ががんに冒されていることがわかったことで、カウンセリングに「晴れ晴れとした顔」であらわれた女性の事例です。
袰岩:この女性は物心がついたころからずっと母親に苦しめられていました。それだけ母親が重石だったわけです。
――母親が大病を患ったことで病院に呼ばれたりですとか、本来なら関わりたくない母親と関わらなければならなかったり、母親が関連の用事が増えてしまったりするわけじゃないですか。それでも晴れ晴れとした顔になるのは「これで母親が死ぬかもしれない」という心理なのでしょうか。
袰岩:そういった具体的なものというよりは、「今の自分の苦しみには終わりがあるんだ」という、母親に苦しめられる人生の「終わり」が見えたことによる高揚感の表情だったのではないかと思います。ただ、「それって結局は親の死を望んでいるということかもしれない」ということで、その人は罪悪感も覚えるのですが。
――ただ、普通に考えれば親は自分より早く死ぬわけで、母親が病気にならなくても「今の苦しみには終わりがある」ということはわかるはずです。がんが発覚するまでそこに思い至らないということがありえるのでしょうか。
袰岩:物心ついたころからずっと母親に苦しめられて生きてきたわけですから、「いつかは親も死ぬ」ということすら考えられなかったのだと思います。がんという病名を聞いてはじめて、そうか、親も死ぬのか、と気づいたわけです。
まして、当時その方が20代後半でしたから母親は50代か60代でしょう。そのくらいだとまだまだ元気ですから、親が死ぬということをリアルに考えたことはなかったのではないでしょうか。
――本書で実例として挙げられている母娘関係を読んで感じたのですが、毒親の問題というのは母娘に限定して考えるべきではなくて、嫁姑関係や夫婦関係、特に親自身の育てられ方とも関係しています。「子どもを苦しめる子育て」の世代を超えた連鎖を断ち切るためにはどんなことが必要なのでしょうか。
袰岩:やはり虐待や過干渉など、親自身も育てられた過程で何かしらの体験をしてきた結果、自分の娘に愛情をかけられなかったり、興奮して過度に叱責してしまいやすい方がいて、そう考えると子どもを苦しめる子育ては世代を超えて連鎖すると言えます。
そういう人も、時には自分のやっていることを自覚して、罪悪感を感じていい親にならなければと思うのですが、それでも子どもの顔を見ているとカッとなって同じことの繰り返しになってしまう。こちらが家庭生活の中に介入して注意することはできませんから、そこは親自身が気づくしかないんですね。「私はこの先もずっと、子どもを苦しめては罪悪感を感じるというパターンを繰り返していくのか」と自問できるようになると、変わらないといけないと考えられるようになっていくのではないかと思います。
――難しいのは、自分が受けた子育てを特に問題があるものだったと親自身が自覚していないケースもあることです。こうした中で自分が「毒親」にならないためにどんなことができるのでしょうか。
袰岩:「絶対に正しいものはない」ということを自覚することと、自分が子どもに対してしたことが間違っていたと思ったら謝ることだと思います。
――「毒親との戦いのストーリーは、毒親から物理的に離れたあとについて深く考えねばならない段階に入ってきている」と書かれていました。毒親から真の意味で解放されたといえる状態とはどのような状態なのでしょうか。
袰岩:「真の意味の解放」がありえるのかどうかはいったん置いて言うとすれば、自分の中に毒親の痕跡はどうしても残るんですね。ずっと一緒に暮らしてきたわけですから。
その痕跡が気にならなくなるというのが一つの目安だと思います。もちろん親のことを忘れるわけではないですし、されたことを思い出すこともあるでしょうが、それで嫌な気持ちになったりはせず、今の自分としてさらっと振り返ることができるようになれたとしたら、それは解放されたと言えるのではないでしょうか。
――そのためのプロセスとして、「毒親と物理的に距離をとる」ことが大きなポイントなのでしょうか。
袰岩:物理的距離もそうですが、今以上に親によるストレスを抱え込まない時間が必要になります。親の存在を自分の中から完全に消し去ることは無理ですが、嫌な体験が新しく増えないようにすることはできます。親から受けるストレスを少しでも減らすことは大事です。そのうえで、心理的な距離を取る努力をしていく必要があります。
また、物理的距離をとるといっても、親もとから離れられる人ばかりとは限りません。だからこそ、別々に暮らせないとしても意識して親と顔を合わせない時間や話さない時間を作って「毒親フリー」の状態を作ることが大切になります。
――最後に自分の子育てが正しいのか疑問に思っている親、自分が毒親なんじゃないかと恐れている親、そして逆に親に苦しめられている子どもにメッセージをお願いいたします。
袰岩:親の立場の人が「自分は毒親じゃないか」と恐れるのは正しいことです。ぜひ恐れずに自分を振り返ってみてください。思い当たることがあるなら勇気を出して誰かに相談したり、自分を変える努力をしていただきたいです。
そして今、毒親に苦しめられている子どもには、「よく耐えてがんばっていますね。今の状態はあなたが悪くてそうなっているわけではないので、自分を責めないでください。ここまで耐えてこれたのだから、自分を変えて現状から抜け出すことはきっとできます」ということを伝えたいですね。
(新刊JP編集部)