だれかに話したくなる本の話

紀元前から続いていた 人類と感染症の闘い

2021年になってもなお、収束の気配が見えない新型コロナウイルスの世界的流行。

ただ、これだけ全世界に蔓延する事態にはならなかったため忘れられがちだが、新型コロナウイルスだけでなく、エイズやエボラ出血熱、新型インフルエンザなど、深刻な感染症の局所的な流行が起きている

■古代人が抱えていた感染症への恐怖とは

思えば感染症の歴史は長い。世界で最古の感染症の記録は、古代ギリシアの歴史家トゥキディデスの『戦史』で、紀元前430年、スパルタと戦っていたアテネで「アテネの疫病」という感染症が流行したとされる。ただ、現在で言えば、何の疫病に当たるかは明らかになっていない。

現代ならば、流行している感染症の正体を明らかにすることができるが、科学、医学が発達していなかった時代には、感染症が細菌やウイルスによって引き起こされることは知られておらず、当然疫病の正体を知ることもできなかった。その意味では、当時の人々の疫病への恐怖は、現代人よりもはるかに大きかったはずだ。

では、この正体のわからない疫病に対して日本人はどうしていたのかというと、繰り返し流行した疫病を神として祀ることを行ってきたようだ。外来の仏教に疫病退散のご利益を願うこともあった。また、予言獣を絵に描くことで感染症を形あるものに見立てる試みもされていた。

宗教学者・作家の島田裕巳氏の著書『疫病VS神』(島田裕巳著、中央公論新社刊)によると、豊作とともに疫病の流行を予言する動物は「予言獣」と呼ばれていた。

コロナウイルス除けとしてSNSで話題となった「アマビエ」も予言獣の一種である。このアマビエの他にも、予言獣は存在する。文政5年(1822年)、日本ではコレラが流行した。幕末ではコレラにかかるとコロリと死んでしまうこととから「コロリ」と呼ばれ、「虎狼痢」や「虎狼狸」といった漢字があてられた。

この2年前、肥前国(現在の長崎県)平戸に「姫魚」なるものが出現し、そのことを伝える絵が残されている。その絵には、顔は人間の女性で、胴体は魚である不気味な姫魚の姿が描かれていた。そしてそこには「平戸の沖に浮き上がった姫魚は龍宮からのお使いで、これから7年のあいだ豊作が続くが、ころりという病が広がり、多くの人が死ぬ。ただし、自分の姿を絵に描いて、それを見れば、病を逃れることができる」という内容も記されていたという。文政2年卯月と書かれていたが、卯月とは旧暦の4月のこと。その年の夏に江戸でコロリが流行し、姫魚の予言は的中したことになる。

コレラの正体が見極められない時代に、さまざまな予言獣を絵に描くことで、庶民はその姿を形にしようとした。目に見えない感染症を形にすることで、なんとか退治できるという感覚を得ようとしていたのではないかと考えられる。

天然痘の大流行が東大寺の大仏を生んだ。祇園祭の起源は疫病退散にあったことなど、感染症に日本人がどのように対峙してきたかがわかる本書。日本の歴史を振り返ると、疫病が流行したから宗教が発展した、とも言える。そんな日本の歴史を本書から、学んでみてはどうだろう。

(T・N/新刊JP編集部)

疫病vs神

疫病vs神

日本人はくり返し流行する疫病を神として祀ることで、その災厄から逃れようとしてきた。都の発展は病の流行を生み、疫病退散のために祇園祀りが行われた。また、ある種の疫病は、怨霊として人々から恐れられてきた―。そこには、一神教の世界と異なり、多神教の日本だからこそ、疫神を祀るという行為がある。長い歴史の中で、日本人はどのように病と闘ってきたのだろうか。

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T・N

ライター。寡黙だが味わい深い文章を書く。SNSはやっていない。

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