だれかに話したくなる本の話

【「本が好き!」レビュー】『言葉に命を~ダーリの辞典ができるまで』ポルドミンスキイ著

提供: 本が好き!

「彼は詩人ではない。話を創作する術を持たないし、創作する気もない……。書くものはすべて実際に現実から得たものそのままだ。小説家がおおいに頭を悩ませる発端や結末に頼ることなく、ロシアの地で起きたことや、目にしたことを取りあげるだけで、それがもう最高におもしろい物語になっている……」

「私に言わせれば、彼は物語作家を全部合わせたより力がある……。彼の書くどの一行もロシアの生活習慣と民衆の暮らしをよりよく理解させてくれ、私を教え、得心させてくれる」

他ならぬゴーゴリにそう言わしめた人物、それが“言葉の収集家”、ウラジーミル・ダーリ。
全4巻20万語を収録した『現用大ロシア語詳解辞典』をたったひとりで完成させた人だ。

本書は1801年に帝政ロシアに生まれ、およそ半世紀にわたり辞書を編纂し続け、晩年にはなんと14回も校正をした上でこの辞典を世に送り出したダーリの伝記だ。

ダーリの子どもの頃、ロシアの「上流階級」ではフランス語が常用され、「マダムとマドモアゼルは翻訳することができない」とすらされていた。 だがダーリの生家では話が違った。
両親とも多言語を司る家庭に生まれ育ち、自らも様々な言語に精通していたダーリだが、育った家庭は厳格なほど生粋のロシア語で満たされていたという。

生きものが皆、よい食物を摂取して己の血肉とするように、民衆の語る素朴で率直なロシア語を学んでそれを身につけるべきだ

生涯その信念を持ち続けることになった少年は、“物心ついて以来、ロシア語の文章語と庶民の話し言葉の不一致に落ちつかず心乱されてきた”。

父親の意向で海軍幼年学校に学び、卒業後海軍少尉となるも、ほどなく方向転換をして医学部に。
やがて戦争が始まり医学生も戦場へと駆り立てられることに。
規定の年数を満了していないが最優秀な彼は、研修医としてではなく過程を終了した医師として従軍、今度は陸軍だ。
結果としてこの従軍経験はダーリに貴重な蓄えをもたらすことになる。

彼は休みとなれば、いろいろな地方出身の兵士達をあつめて、これこれのものは何県ではどういうのか、別の件ではどうかなどと質問攻めにして手帳に書き留めていたという。

多くの民族が暮らす広大な国土。
その土地土地の様々な言葉やことわざや慣用句を集めて比べて整理するには、人々の暮らしを垣間見るだけでなく、その生活に分け入って溶け込む必要があった。

そんな「調査」の道程でプーシキンと知り合う。
プーシキンは民衆の言葉を学ぶことに強い関心を示し、このことがふたりを近づけた。ダーリがあの辞典に取りかかったのはプーシキンの強い求めによるものだったというのだ。

友情の証に形見として贈られたのは、詩人の命を奪った弾の貫通により穴の空いたフロックと、詩人が身につけていたエメラルドの指輪。
これをさするとわたしのなかに火花が散って、書きたくなるのです……とダーリは言う。

軍医を退き官吏になってからも、民衆の間で使われている生きた言葉を集め続けたダーリ。
アルファベットによらず、言葉の意味に重点を置いた独自の配列の辞書にたどりついたダーリ。
この配列の話がまたとても興味深く、こんな辞典ならいつ読んでも、どこから読んでも、きっと面白いに違いないと思わせる。

そしてまた、その偉業は、ダーリの名が、トルストイをはじめ、その後に続いた世代にとって辞書の代名詞ともなったことからも察せられる。

そんな彼の伝記が、読み物として面白いだけでなく、「言葉」についてあれこれ考えさせられもするのは、ある意味当然のことと言えるだろう。

ダーリの『詳解辞典』では、「変わり者」のことを「風変わりで独特で、世論や慣習に従わず、なにごとも自分流に行う人のこと。変わり者は人の言うことを意に介さず、自分が有益だと思ったことをする」と解釈する。

まさに「変わり者」。
すばらしい「変わり者」の物語だった。

(レビュー:かもめ通信

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言葉に命を~ダーリの辞典ができるまで

言葉に命を~ダーリの辞典ができるまで

全四巻、二十万語の辞書をひとりで完成させた言葉の収集家ウラジーミル・ダーリ。民衆の間で使われている生きた言葉を生涯かけて集め続け、言葉の意味や用法よりも言葉そのものの深みと広がりを伝えることに心をくだき、独自の配列の辞書にたどりついたダーリ。その後の世代にとって辞書の代名詞ともなったダーリの営みは、ロシア文化の重要な光源であると同時に、いまの私たちが抱える言葉の問題にまで届く光を放っている。名だたるロシアの作家たちが頼りにし敬意をはらったダーリの歩みを知る本格評伝。

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