2021年のオリンピック開催は是か非か コロナ禍で問い直されるスポーツの意義
■「スポーツは兵士育成を目的とすべき」という国家に抵抗した男
一方で、当時のスポーツ界には、時代の風向きに抵抗する人物もいた。
水泳代表チームの監督だった松澤一鶴(まつざわいっかく)だ。ロサンゼルス大会で男子6種目中5種目、ベルリン大会でも、3種目、女子では前畑秀子が女子で初めて金メダルを獲得する、史上最強の水泳チームを育てた名伯楽である。
アスリートの死でさえ戦意高揚に利用される世の中だから、競技そのものも例外ではない。スポーツは楽しむものではなく、「国防競技」という戦争を遂行するための兵士育成を目的としたものであるべきだという意見が、戦時下では強く主張されるようになっていた。
そんななか、松澤は一風変わった主張を繰り広げる。
「スポーツを戦争に役立つ能力の養成に使うのはいい。しかし、スポーツが本来持つ競技性や楽しさを切り捨てるべきではない」
松澤は、スポーツは国家に役立つものであるべきだという国の意向には従う姿勢を見せつつ、純粋な競技としてのスポーツを守ろうとした。
松澤が非戦・反戦の立場だったかどうかは定かではない。しかし松澤の戦時中の言葉が残っている。
〈「より速く、より高く、より強く。」
これこそスポーツの真の精神であり、スポーツマンが人生に臨む真の姿であろう。そこにこそ躍動があり発展があり、真の生命があるのではないか。〉
スポーツが国策に蹂躙され、その後、戦争によって14人もの教え子の命が失われた経験は大きな悔恨を残したに違いない。
こんなことはもう、二度と起こしてはならない。幻のオリンピックから24年後、松澤の思いは、大会組織委としてかかわった1964年の東京オリンピックで結実する。
この大会の閉会式では、「平和の祭典」とされるオリンピックを象徴するような光景が見られた。国ごとではなく、選手たちが国籍も人種も性別もなく、一斉に国立競技場に入場し、のちに東京方式と呼ばれることになる「平和の行進」である。後の大会でもすっかり恒例となったこの式次第だが、昭和天皇・皇后も臨席された競技場に整然と入場する段取りだったところ、まったく偶発的に起きた「予期せぬハプニング」にだとされてきた。ところが、本書では、この説を覆す、ある証言が明らかにされている。
「みんなが、当たり前の光景として見ていた平和の行進の裏に、松澤のスポーツへの思いや、選手を失った無念の気持ち、戦争への悔いなどが凝縮しているのがわかった時、五輪とは何なのか、スポーツとは何なのかという問いへの答えを見つけた気がしました」(大鐘さん)
そう、1964年の東京オリンピック閉会式の「平和の行進」は、松澤一鶴によって仕組まれたものだったのである。そのいきさつと松澤の計画については、ぜひ本書を読んでいただくとして、大鐘さんはどんな答えを見つけたのだろうか。
「‶平和の祭典〟といっても、五輪はシンボルでしかありません。だから、五輪自体が平和に寄与するかどうかはわからない。ただ、アスリートたちが懸命に走り飛び投げる、スポーツに取り組むことで生まれた生のドラマを見た時の感動は、国籍や人種、民族を超えて共有できるもので、もしかしたら‶その瞬間〟だけは、世界が同じ感動で結ばれることはできるのかもしれません。それは、平和への願いと相通じるものだと思っています」(大鐘さん)
「シンボル」であるがゆえに、五輪は常に時代の空気に染まってきた。では、2021年の五輪は、もし開催されるならどんな大会になるのだろうか。大鐘さんは最後にこんな話をしてくれた。
「先日、JOC会長の山下泰裕さんにお話をうかがう機会があったのですが、山下さんは今回の大会について、1920年のアントワープ大会と重ねて話されていました。当時は、第一次世界大戦とスペイン風邪の流行で、世界が大きなダメージを負っていた時期で、アントワープ大会はそこからの復興を目指して、もう一度世界各国一つにまとまろうよ、という機運の下に行われた大会でした。
来年、東京で五輪ができるかどうかはまだはっきりしませんし、さまざまな意見があることは承知していますが、どのような形になるにせよ開催できて、世界のアスリートが東京に集まって切磋琢磨することができたとしたら、それは国家や民族の枠組みを超えてすばらしいことですし、世界が大きな困難を乗り越えたシンボルとして大きな意味を持つ大会になるのではないでしょうか。
そして、それを私たちが見ることができた時の感情は、1964年に松澤が平和の行進を見た時の感情と同じなのではないかと思います」
(山田洋介/新刊JP編集部)