だれかに話したくなる本の話

新刊ラジオ第1466回 「小百合ちゃん」

日活からデビューして50年。吉永小百合はいまもなおその美しさ、魅力を輝かせ続けています。十一歳で自分の意思もなく芸能界デビューした「天才児」。彼女のあの明るい歌声で、さわやかな映画で、どれだけの若者や大人たちが勇気づけられ、生きる喜びを共感してきただろうか。いくつになろうと、人々は「吉永小百合」のなかに「永遠の青春」をみてしまうのではないでしょうか?

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女優・吉永小百合の素顔

● 著者プロフィール  中平まみさんは、日活映画の監督を務めた中平康(なかひら・こう)の娘として生まれました。1980年「ストレイ・シープ」で「文藝賞」を受賞。言わずと知れた、日本の大女優です。小学校6年生でデビューをし、現在も魅力溢れています。

 本書は、そんな小百合さんを近くでずっと見続けてきた著者の小百合さんへの想いとともに、女優・吉永小百合を描いた一冊です。

 中平さんは今回出版するにあたって、こう本の中で語っています。

 「私が今回、本をしたためる最大の目的は、吉永小百合と映画の真価真髄を知らぬ人々に広く伝え残す必要を感じたから、そして他ならぬ小百合本人へエールを送るためである。輝きに満ちた彼女は、全国民の憧れの的だった。それがある時を境に影がさしてきてしまった。理由はいろいろあるであろう」 (P127より抜粋)

 中平さんと小百合さんが初めて会ったのは、中平さんのお父さん、中平康(なかひら・こう)の葬儀の場でした。日活の映画監督として活躍していた中平康の作品に出演していたのが、吉永小百合さんでした。

 父親の葬儀の場で初めて会った吉永小百合。しかし、著者の中平まみさんは、その以前からずっと、熱烈な「サユリスト」であったそうです。本のなかでもこのように語っています。

日本を代表する女優の誕生

 「その人を初めて見たのは、いったいいつが最初だろう。気がついた時、物心ついたとき、私はその人を知っていたし、すっかり馴染んでいたし、あまつさえとても気に入っていた。その頃のテレビ画面、歌謡番組の中でも、その人はほかの歌い手、どこか手垢のついたような歌手とはまるで違っていた。『いつでも夢を』。一つのマイクを遠慮がちに、けれど真摯な表情と声で、橋幸夫とそれぞれのパートを交互に謡い合いデュエットしていた。私はまだ子供であったが、清楚で、怜悧さと美しさに溢れた、抜きん出た光輝を放つその人に、なんて綺麗でいい感じなのだろうと見惚れ、寂しさの中にも温かみと夢を感じさせるその歌、素直な唄声を聴いていると、明るい未来、希望の持てる将来といったものを、何の疑いもなく、絵空事でなく信じられた」 (P29-30より抜粋)

 ファンクラブにも入り、会員誌に投稿したり、ファンレターを出したりしていました。そして、昭和58年、雑誌「出会い」のコラム「僕の親友・私の親友 あいつについて黙って書いちゃお」 の中で吉永小百合に対する熱いおもいを綴ります。

 そこには、父親である中平康の作品に出たときの小百合さんの輝き、美しさ、日本を代表する女優であるといった絶賛。著者が好きな作品、石坂洋次郎原作の「光る海」での吉永小百合にドキドキした気持ち。純サユリストであるがゆえに、結婚後の小百合さんの出演減少の落胆などが書かれていました。

 このコラムで語ったことを小百合さん本人へも手紙で送り、それをきっかけに小百合さんと逢う機会が増えたそうです。

女優業は”借金返済”の為だった?

 身近で吉永小百合をみてきた著者だからこそ書けた、真実の姿がそこにありました。敗戦の年に生まれ、11歳でデビューした「天才児」。私たちは、画面を通してしか知らない吉永小百合。愛らしくて、純粋で、清楚で美しい。もちろん、それらも吉永小百合なのですが、実際には逞しく天真爛漫で勝気な一面も持っていたそうです。

 子供の頃は、凛々しく男勝りな性格。ワッと泣き、パッと泣きやみ、何でもおいしいおいしいと食べ、雑草のような逞しさを感じさせる子。朗らかで、誰からも可愛がられていました。小百合の実家は裕福ではなく、毎日の食事にも困り、小百合自身も、  「私の町内のどの家も貧しかった頃ですが、我が家はその中でも相当苦しかったように記憶しています」(P39より抜粋)と語っています。

 自宅には借金取りだけでなく、税務署から差し押さえの役人がやってきて、タンスや家財道具など財産と呼べるものには手当たり次第ベタベタと赤札を貼って回ったそうです。このとき小百合は、「なんて失礼な人たちだろう。私がお父様を守らなくっちゃ」と、ハタキを持って身構えたそうです。  そんな小百合が女優になるのは、いろいろなエピソードがあるものの、やはり家族のため母親から勧められて、本人の意思ではなかったといものが最も近いのであると思われます。

自分の歩んだ道、”正しい”か分からない

 小百合が芸能界へ入ることによって家計を助けていったのは事実で、働かされているという意識がありました。小百合の著書、『夢一途』でこのように語られています。

 「この道を歩んだ私は、正しかったのか間違いだったのか、自分に問いかけてみても仕方のないことです。何故なら私は、自分でしっかりと道を選択できる年齢になる前に、この世界に足を踏み入れていたのでした。育った環境、立場から、私にはこの道しかなかったのかもしれません。選択の余地がなかったのは、ある意味で私の運命のような気がします」 (P47-48より抜粋)

 小百合さんの生い立ちから、現在まで、芸能界で生きていく姿が生き生きと描かれています。映画出演でのエピソード、失恋の話、離婚経験のある男性との結婚、家族との確執、苦悩、苦難の数々。

 どんなときも、女優・吉永小百合は美しく輝いていました。吉永小百合は、デビュー当時から、今も変わらず彼女は私たちを魅了し続けます。小百合世代ではないひとたちにも、彼女の魅力をこの本によって知って欲しい、そう思い、お勧めしたい一冊です。

小百合ちゃん

新刊ラジオ公開録音イベント2回目!(ひとつ前の新刊ラジオを聴く)

小百合ちゃん

小百合ちゃん

日活からデビューして50年。吉永小百合はいまもなおその美しさ、魅力を輝かせ続けています。十一歳で自分の意思もなく芸能界デビューした「天才児」。彼女のあの明るい歌声で、さわやかな映画で、どれだけの若者や大人たちが勇気づけられ、生きる喜びを共感してきただろうか。いくつになろうと、人々は「吉永小百合」のなかに「永遠の青春」をみてしまうのではないでしょうか?