新刊ラジオ第1469回 「神様 2011」
本書は1993年に川上弘美さんが発表した『神様』を、「あのこと」……東日本大震災を受け、同じストーリーを自ら書き直した作品です。“日常は、何かのことで大きく変化してしまう可能性がある”という驚きの想いから綴られた本作は、同じ場所、同じ出来事を、同じ人物たちがすごしているのに、まったく異なる印象を放っています。
読む新刊ラジオ 新刊ラジオの内容をテキストでダイジェストにしました
日常が日常でなくなる瞬間
● 著者プロフィール 川上弘美さんは、小説家。作品の受賞暦としては、96年『蛇を踏む』で芥川賞。99年『神様』でドゥ マゴ文学賞と紫式部文学賞。2000年『溺レる』で伊藤整文学賞と女流文学賞。2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞。2007年『真鶴』で芸術選奨を受賞。 幻想的な世界と日常が織り交ざった描写が人気の作家さんです。
今回紹介する『神様 2011』は、1993年に発表された『神様』を、「あのこと」以降に、川上弘美さん自身の手で書きかえられたものです。
当時発表された『神様』は、このような書き出しから始まります。
くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。歩いて二十分ほどのところにある川原である。春先に、鴫を見るために、行ったことはあったが、暑い季節にこうして弁当まで持っていくのは初めてである。散歩というよりハイキングといったほうがいいかもしれない。(5ページより抜粋)
そして、今年書き換えられた『神様 2011』の書き出しは、このように変化しています。
くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。春先に、鴫を見るために、防護服をつけて行ったことはあったが、暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、弁当まで持っていくのは、「あのこと」以来、初めてである。散歩というよりハイキングといったほうがいいかもしれない。(23ページより抜粋)
日常の変化(1993→2011)
「あのこと」とは? “防護服”でピンと来た方もいるかもしれません。3.11東日本大震災、そして、一連の原発事故による、放射能汚染問題のことです。この作品は、『群像2011年6月号』に掲載され、読者に様々なメッセージを送りました。
93年に発表された『神様』も、震災後に書き直された『神様 2011』も、同じ場所で、同じ人物たちが、同じ時間を描いています。どちらも、ごく日常的な「ある日」一日を切り取ったストーリーです。ところが、「あのこと」……3.11東日本大震災、そして、原発の一連の事故による、放射能汚染問題以降に書き直された『神様 2011』で描かれる日常は、日常といっていいかわからない、日常ということがはばかられる出来事が描かれているのです。
たとえば、くまが川で魚を獲ってくれるシーンがあります。 その描写の違いを感じてみてください。
『神様』 「さしあげましょう。今日の記念に。帰る頃にはちょうどいい干物になっています。」 (そして、帰りがけに)干し魚はあまりもちませんから、今夜のうちに召し上がるほうがいいと思います。
『神様 2011』 「帰る頃にはちょうどいい干物になっています。その、食べないにしても、記念に形だけでもと思って。」 (そして、帰りがけに)干し魚はあまりもちませんから、めしあがらないなら明日じゅうに捨てる方がいいと思います。 悪くならないうちに食べてほしいという配慮から、放射能汚染対応への配慮に変わっています。
日常の変化(1993→2011)2
また、最後に日記を書くシーンがあります。
「部屋に戻って魚を焼き、風呂に入り、眠る前に少し日記を書いた。くまの神とはどのようなものか、想像してみたが、見当がつかなかった。悪くない一日だった」
今日を振返って、日記を書き、気になったことを思い浮かべながら眠る日常です。 そして、「あのこと」以降の日常はこうです。
部屋に戻って干し魚をくつ入れの上に飾り、シャワーを浴びて丁寧に体を髪をすすぎ、眠る前に少し日記を書き、最後に、いつものように総被曝線量を計算した。今日の推定外部被曝線量・30μSv、内部被曝線量・19μSv、(中略) くまの神とはどのようなものか、想像してみたが、見当がつかなかった。悪くない一日だった。
同じように今日を振り返って日記を書き、被曝線量を調べて記録。そして、気になったことを思い浮かべながら眠るという日常。
これも、ひとつの日常であることにかわりはありません。
しかし、被曝線量の記録が日常の一こまである、ということを考えると、とても怖くなりませんか? 平穏な日々ではないことは、想像に難くなく、それは、物語からも読んで取れると思います。
しかもこれは、完全なフィクションではなく、現実にひもづいたお話なのです。 いろんなことを考えてしまわざるをえません……。
神様 2011 |