新刊ラジオ第1313回 「綾戸智恵、介護を学ぶ」
国民的ジャズシンガー綾戸智恵は、なぜたった1人で母の介護を続けるのでしょうか。彼女のパワフルで饒舌な笑顔の裏には、介護の重圧やプレッシャーが常に存在したのです。本書は、綾戸智恵が介護を通して学び、感じたことの記録を、良き相談役であった一志氏がありのままに綴った書です。
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綾戸智恵の裏の顔は…
綾戸智恵さんは、有名なジャズシンガーです。 大阪府に生まれ、ニューヨークでゴスペルクワイヤーのメンバーとして活動した後、帰国。大阪のジャズクラブなどで歌い始め、1998年、40歳でアルバム「For All We Know」でプロデビュー。饒舌で笑い溢れるトークと、幅広い選曲を織り交ぜた自由奔放なステージが人気を博し、多くの老若男女に感動を与え続けています。
そんな、明るく元気なイメージの綾戸智恵さんですが、脳の疾患に倒れた母親の介護をされている、ということをご存知でしょうか。2008年2月には、『NHKスペシャル 闘うリハビリ』にゲスト出演されていました。綾戸さんは、ジャズシンガーとしてのパワフルな笑顔の裏に、母親の介護という重圧とプレッシャーを常に感じていたのです。
まずは、冒頭の一説をご紹介しましょう。
「綾戸智恵さんが、薬を飲みすぎて救急車で運ばれたそうです」 知り合いからの突然の知らせだった。 「どうして? 本当に…?」 ジャズシンガーの綾戸智恵が、母親の介護のため、心身ともにかなり追い込まれていることは知っていた。取材対象と取材者という関係ではあったが、綾戸との付き合いは10年以上になる。音楽活動についてだけではなく、ときにはプライベートの突っ込んだ話をすることもあったし、介護の様子を聞かされることもあった。 だからこそ、綾戸本人が薬を飲みすぎて倒れることなど思いもしなかった。私が知る綾戸は、どんな逆境からも逃げない女性だった。 土台、人が人を知り尽くすなんて不可能なことで、私はただ知ったつもりになっていただけだったのだ。 自殺未遂…? 介護だけが原因なのか? いったい、何が綾戸の身に起きたのか?
本書は、このように第三者の視点で綴られています。 ご紹介が遅くなりましたが、この本は、一志治夫さんという方が執筆されています。 一志治夫さんは、長野県松本市生まれ、東京都三鷹育ち。雑誌記者などを経て、1989年、『たった一度のポールポジション』でノンフィクション作家としてデビュー。1994年、『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞を受賞されています。雑誌記者時代は、人物インタビューや人物論などを担当してきました。人物評伝には定評があり、取材対象者に擦り寄りすぎず、主観を押し付けない冷静な筆が魅力的な方です。
一志は綾戸さんとは10年来の付き合いです。彼女がストレスから薬に逃げるような人ではないことも、よく知っていました。だからこそこの出来事は、何が起きたのか分からない…そんな思いで病院に向かったといいます。
綾戸智恵が精神安定剤を多量摂取してしまった理由
綾戸さんが病院に担ぎ込まれたのが、2010年の3月。 一志さんは病院に向かったものの、綾戸さんの意識は朦朧としていて、誰が会いに来たのか、名前さえ認識できない状態だったそうです。予定されていた福岡でのコンサートはただちにキャンセルされました。
これがどれくらい大変なことかというと、綾戸さんは、この瞬間まで、手術当日だろうとコンサートを休んだことはなかったのだそうです。それくらい、綾戸さんにとって「コンサート」とは特別なものだったのです。
しかし、なぜこの日に限って、綾戸さんは倒れてしまったのでしょうか。 この頃の綾戸さんは、コンサートの準備期間に重なって、過酷な介護、過酷な仕事の二束わらじで、十分な睡眠をとることができずにいました。そのため、ときどき睡眠導入財を飲んで休むことがあったそうです。
綾戸さんのお母さんの認知症はだいぶ進行していて、いつしか綾戸さんが自分以外のことに時間を使うと、すねるようになっていったそうです。自分自身も可愛がっていたはずの孫のために時間を使っても、「私のことなんか、どうでもええんやろ!」と、すねるそうなのです。コンサートが近づくにつれて、お母さんは、娘(綾戸さん)の意識が普段よりコンサートに移っていることを敏感に感じ取り、寂しかったのかもしれません。娘を応援していた頃の思いは病魔に霞み、すねたり、憎まれ口を叩いたり、綾戸さんにとって負担となることばかりしてしまいます。
綾戸さんは、すねる母を見て、病気のせいだからとわかってはいるものの、出発時間が迫る中、イライラが沸き起こるのを抑えることができませんでした。
ただ、出発前に大喧嘩をして、ざらついた気持ちのまま別れるのは後味が悪く、ささくれ立った感情に振り回されているときは、やることなすことすべてが悪循環になるという経験をしていたので、このまま出かけるわけにはいきません。
しかも、他の用事ならまだしも、この日は自分にとってかけがえのないコンサートです。しかたなく綾戸さんは、心を落ち着かせようと病院でもらった精神安定剤を二錠口に含みました。
しかしそれでも苛立ちは治まりません。さらに数錠。
病院で出してくれた薬であるし、それほどひどいことにはならないだろうという思いでしたが、その考えは甘く、薬によって綾戸さんの判断力は低下し、何錠も、何錠も、勢いに任せて安定剤を飲んでしまったのです。
今となっては、詳細までは知りえませんが、綾戸さんが倒れて病院に運ばれたときは、胃の中に数十錠の精神安定剤が残っていたそうです。
綾戸さんの感覚では、「まるで泥酔したよう」になり、そこで記憶は途切れたといいます。意識とは別に、いびきをかきながら、その場で寝たような状態になってしまったのです。
世間は自殺未遂というけれど・・
約束の時間が来て、事務所のスタッフが迎えに訪れたとき、綾戸さんは完全に意識を失っていたそうです。異変を察知したスタッフがすぐさま家の中に入り、倒れている綾戸さんを発見します。すぐに救急車で病院に搬送され、胃を洗浄されて、運良く一命を取り留めることができたのです。
綾戸さんは、当時のことをこのように振り返っています。
もし、コンサートのための移動日ではなかったら、いったいどうなっていたことか。誰にも気づかれることなく、二人揃って最悪の事態を迎えていたのではないか。 世間は自殺未遂と思ったようやけど、まったく違う。自殺した人の多くも、したくてしたわけではないんとちゃうんかな。 意識が朦朧として、自分でもようわからん中で死んでしまってるんとちゃうかな。 今回のことで、介護はつらくて、逃げたくなることもあったけど、だからといって死にたいとは思ってへんことがようわかった。
この事件は、結果としてそれまでの2人の関係を見つめなおし、状況を好転させるためのきっかけなったといいます。
本書は、綾戸さんのよき相談相手として時間を過ごした一志さんが、綾戸さんの葛藤や思いのありのままを綴っています。介護の重圧は、体験したことのないものには、決して完全には理解できないのだと思います。それでも、綾戸さんのプレッシャーや、もがいてきたことが文章から伝わり、息の詰まる思いがしました。
ジャズシンガー綾戸智恵が、介護を通して見たものとはいったいなんだったのでしょうか。そして、見つけ出した、人生の答えとはなんだったのでしょうか。 本書をじっくり最後まで読むと、綾戸さんが見つけ出した人生の「答え」を感じとることができます。それは、実に綾戸さんらしい答えでした。
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