新刊ラジオ第1268回 「ゆっくりやさしく社会を変える NPOで輝く女たち」
NPOのパイオニアである女性たち。彼女たちが、ゆっくり、やさしく、社会を変えていきます。高齢者も、障害者も、女性も、男性も、自分らしく生きられる社会を求めて立ち上がった、NPOのパイオニアの女性たちの活動の軌跡と輝く生き方を紹介する一冊です。これからの日本社会にこそ必要な一冊です。
読む新刊ラジオ 新刊ラジオの内容をテキストでダイジェストにしました
阪神大震災被災に立ち上がった女性
● 著者について 秋山訓子さんは、朝日新聞記者。横浜支局、「アエラ」などを経て、政治部に所属。2010年夏より1年間、英国大学院に留学中。NPO法施行時より10年以上にわたりNPO取材を続ける、メディアにおけるこの分野の第一人者です。
今回の本は、NPOの第一線で、NPO法が施行される以前から活躍されているプランナーの女性4人の人生を紹介している本です。 その中のひとり、中村順子さん(現在63才)は、地元神戸で自らも被災しながらも救援活動の先頭に立ち、日本のNPOを代表するリーダーとなった人物です。
1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。6500名にのぼる多数の被災者を出しましたが、全国から神戸に集まったボランティアの数は、延べ138万人にのぼり、ボランティアの供給過多の状態になったほどだそうです。後に、この年は「ボランティア元年」とも呼ばれました。このことは、震災後のボランティアが1998年にNPO法(特定非営利活動促進法)が成立する原動力となりました。
中村さんの地域では、92%の家が倒壊し、電気・ガス・水道のライフラインが途絶しました。そんな状況で中村さんはこう感じたと言います。
今、私はなにかをしないといけない、しないといけない、いけない、って。千載一遇やと思ったわ。あのマグニチュード7.5の大きな衝撃が、私の背中をドーンと押したというふうに感じてん。
中村さんは、震災前から働いていた、登録制のライフ・ケアー協会は緊急支援には向かないと考え、ライフ・ケアーの活動を通じて交流があった団体と協力して、自ら新しい会を作ることを決意したといいます。
そうして作られたのが「東灘地域助け合いネットワーク」。最初は、教会の幼稚園の敷地にテントを張って、机ひとつ、携帯電話ひとつからスタートしたそうです。最初に始めたライフ・ケアーは、「水汲み110番」というものです。なぜなら中村さんは、水に対して特別な思いがあったからなのです。
「やってもらって当然」ボランティア依存から、事業展開へ
それまで2週間歩き回った中で、そして自分の生活の中で、何が一番困ったかといえば、水。それも生活用水。トイレを流したり、髪を洗ったり、身体を拭いたり、食器を洗ったり、何をするにも水がない。そこで私たちは、あなたの家のバスタブに水をいっぱいにしますと。私自身、バスタブに水がいっぱいになって、どれだけ豊かな気持ちになったか…。しばらくして、復旧にも地域差が出て、水の出る地域でない地域出始めました。 そこで助け合いネットワークが間に入り、水の出ない地域の洗濯を水が出る地域の人がやる、という助け合いの仕組みを作りました。
3ヶ月もすると、会の活動は震災救援から生活支援へと移っていきました。物資的な面では行き届いても、精神的な不安がおさまらないという問題は依然としてありました。そこで中村さんは、住民同士の交流と気晴らしをはかろうと「茶話(さわ)やかテント」「茶話やかパラソル」という移動集会所を作ったそうです。
やがて、行政が仮設住宅の集会所「ふれあいセンター」を作ると、中村さん達の実績を見て運営を依頼してきたそうです。しかし、中村さんは「助け合いネットワークの運営はあくまでも自治的組織ができるまで」ということで、住民主体の組織ができるのを見届けて、撤退したそうです。
震災から時間が経過すると、時に被災者よりボランティアの人数が多くなっていき、「ボランティアの供給過多」という事態がうまれたそうです。すると、被災者の側にも依存傾向が生じてくるという問題が起こってきたのです。
やってもらって当然、物資はもらって当然。もっといいものをくれないか、というような。「ありがとうと言うのは疲れてしもた」「こんだけ御礼を言い続けるのがしんどいとは思わんかった」という声や、文句ばかり言う人も出てきた。さて、中村さんは、「やってもらって当然」とボランティアに依存する被災者と、どう向き合い、どう接していったのでしょうか?
今日の新刊ラジオでは、中村さんの活動について、さらに掘り下げてご紹介します
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