新刊ラジオ第1144回 「命の授業」
30万人が泣いた奇跡の実話!スキー事故によって首の骨を折り、「一生寝たきりと」宣告され一時は絶望し、自殺未遂まで起こした元中学体育教師。家族、仲間、生徒の応援の励ましで生きる力を蘇らせた、その体験をもとに描いた作品です。生きるとは何か、幸せとは何かを考えてしまう一冊です。
読む新刊ラジオ 新刊ラジオの内容をテキストでダイジェストにしました
ある日、突然の絶望
腰塚勇人さんは、かつて中学校の体育教師でした。 大学卒業後、念願の教師となりバスケ部の顧問として“熱血指導”の日々を過ごしていました。 しかし、2002年3月1日人生を大きく変える事故が起こります。
【朗読】ある日、突然の絶望。
それはスキーで転んで、首の骨を折ったことです。 後頭部から雪面に叩きつけられ……。
「バッキッッッ!」
首の骨から“恐ろしい音”が聞こえ、私は斜面から転がり落ちました。 そしてそのまま救急車で病院へ運ばれました。
そのとき、お医者さんは奥さんに、
「たぶん、一生寝たきりか、よくて車イスの生活になるでしょう」
と言いました。
スキー検定1級を持っていた腰塚さんは、スキー場で最初は慎重に滑っていたそうです。しかし、周りの上手なスキーヤーにつられる形で、徐々にスピードをあげていったその瞬間、事故は起こりました。
【朗読】「生きている、助かった!」しかし……
その瞬間、首から下の力がスーっと抜け、「手足」が自分の意思ではコントロ―ル不能になって、バタバタしていたのを覚えています。 まるで斜面を転がる「人形」のようでした。
数十メートル転がって、やっと仰向けで止まり、空が見えました。
「生きている。助かった。よかった・・・」
次にしたことは「痛いところ探し」でした。 どこも痛くありません。
「ホッ…」として、自分の身体を見たら……。 右手は背中の下に入り、右足は左足の上でクロスしている状態でした。
起きあがろうと手足を動かしました。動かしたつもりです。
「え?動かない?」
もう一度試みました。やはり、首から下がまったく動きません。 手足の感覚そのものがないのです。
腰塚さんは救急車で病院へと運ばれ、緊急手術が行われました。 手術によって一命は取り留めることができましたが、集中治療室で目がさめた時の腰塚さんは、ノドから器官にかけて人工呼吸器の管が入っていて痛くて、苦しくて……。 そして何よりもショックだったのは首から下が全く動かなかったことでした。
身体が動かないショックで腰塚さんは入院5日目に自殺を試みてしまいます。 手足の動かない身体で唯一できる自殺の方法は舌を噛み切ることでした。 でも、死にきれませんでした。
【朗読】動かない身体に、自殺も考えました
死ねませんでした……。
本当は生きていたかった……。
でも……、「生き方」がわからなかった。
そんな私に「生きる勇気」をくれた人……。
奥さんの言葉。 「何があっても、ずーっと一緒にいるから…」
母の言葉。 「代われるものなら 代わってあげたい」
仲間と生徒たちの言葉。 「先生! 待っているから……」
「優しさ」と「強さ」をもらったときでした。 「ひとりじゃない」って。「生きなきゃ」って。
「助けて」って言っていいんだって、気がつきました。 「助けて」って言えば、本当にみんなが助けてくれることを知りました。
今のすべてを受け入れて、いつも「笑顔」でいると決めました。 どんなことにも「ありがとう」と言おうと決めました。
そうしたら、まったく動かなかった手足が、 事故から10日後、だんだん動きはじめてくれたんです。
そして、「必ず、先生として学校へ戻る」と決めました。
こうして、腰塚さんは、失意のどん底から這いあげってきたのです。 その日から、腰塚さんの懸命のリハビリとあらゆることへの感謝の日々が始まります。 生きていることへの感謝、妻や両親、兄弟への感謝、病院の先生、リハビリの先生、看護師さん、仲間たち、生徒のみんな、すべての出会った人たちへありがとうという気持ちで毎日を過ごしているそうです。
腰塚さんは、奇跡的な回復力を発揮して、身体に障害を残しながらも、4ヶ月で現場に復帰をして、中学3年生の担任となります。 そのときの回復力は主治医の先生から、「首の骨を折って、ここまで回復した人は、治療したなかで腰塚さんだけだ」と言われるほどだったそうです。
そして、学校へ戻るときに、自分で“5つの誓い”を決めました。 「口」は、人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう。 「耳」は、人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう。 「目」は、人のよいところを見るために使おう。 「手足」は、人を助けるために使おう。 「心」は、人の痛みがわかるために使おう。
事故にならなければ、気づかなかったことがたくさんあると腰塚さんは言います。
【朗読】今では事故に感謝さえしています
私は、今でも下半身から下はあまり感覚がありませんし、 右半身も思うように動きません。
でも、今、本当に幸せでいっぱいです。 人生で、今が、一番、幸せです。
だから、私はこの「事故」に感謝しています。 大切なことに気づかせてくれてありがとう。
「麻痺してあまり動かない右半身と下半身」は、私にとって「宝物」です。 いつも私に、「手足が当たりまえに動くことの幸せ」を教え続けてくれるから「生きてる」ってそれだけで、本当に素晴らしいことだから。
そして、この事故の体験を腰塚さんは、「命の授業」として6分ほどの動画にして公開したら、なんと30万人の目にふれることとなりました。 2010年3月には、この「命の授業」の活動に専念するために、22年間勤めた教員をお辞めになって、現在は「命の授業」の講演家として、自らの経験を元に、「命の尊厳さ」、「生きていることの素晴らしさ」、「その人自身の大切さ」などを、全国の小学校、中学校、高校、そして一般の方々に伝える活動をなさっています。
みなさんも、この本を読んで、「命の授業」を受けてみませんか?