一滴の水の粒が見たこの広く美しき世界
ひとしずく

ひとしずく

著者:今明 さみどり
出版:幻冬舎
価格:880円(税込)

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本書の解説

これは人間が滅多に入ってこない深い山奥の、とても小さな主人公の物語である。

最後に山奥に人間が入ってきたのは、かれこれ百年も前になるという。そこには手つかずの自然が広がり、さまざまな動植物たちが種を残そうと貪欲で、とても美しい世界が広がっている。

厳しい冬が終わり、早春の光が差し込むある朝。雪をかぶった1本のクマザサの葉の上で、この物語の主人公が目を覚まそうとしていた。
その主人公が「ひとしずく」だ。

ひとしずくは一滴の水の粒。はじめはまだ雪の結晶である。だが、自分が寝床にしていたクマザサの葉に生気が張りつめたことを感じ、これは自分にとっての変化のときだと心得る。
雪が完全に溶けきるまでの間、周囲の雪の結晶の兄弟たちのからだは、太陽の光を透かし、虹色に輝いている。その姿にひとしずくは「何て美しいんだろう」とうっとり見とれていた。

ひとしずくは次々と水滴となって地上に落ちてゆく兄弟たちとの別れを経て、美しく雄大な自然の世界に近づいていく。
その一方で、まだ何も知らないがゆえに、自分も同じようにただの水の滴となってこの世界から跡形もなくいなくなってしまうことに恐怖し、怯えてしまう。

ひとしずくの旅が教えてくれるもの

『ひとしずく』(今明さみどり著、幻冬舎刊)は、ひとしずくが生まれてから旅に出るまでを描いた短い物語だ。
私たち読者はこの「一滴の水の粒」を通して、自然の雄大さや春の光の暖かさを感じ、兄弟たちの「それじゃ、サヨナラ。また今度!」という言葉を聞き、美しい世界に触れるための旅に出ることになる。

人間の視点から見ることができない世界を豊かな想像力を持って描いている本作は、挑戦することの意味を教えてくれる。

クマザサの葉の先を目指して一生懸命、少しずつ進んでいく。ひとしずくにとってその時間は「これまで生きてきた中でもっとも楽しい時間」であり、その行為が「大きな誇り」だった。
挑戦しなければ、新しい景色を見ることはできないし、その挑戦の過程を経て誇りを持つことができるというのは人間も同じだろう。

また、ひとしずくはその途中にクモやムカデ、ハエなどさまざまな虫たちを見つける。そして、彼らのことをより知りたいと願う。
ひとしずくの持つそうした純粋さは、心を打つものがある。そして、自分自身に立ち戻り、新しいものを見て、興味を持ち、知りたいと思うような、かつて持っていた心を忘れていたことに気づくかもしれない。

ひとしずくは旅の先に辿り着いた場所で何を見るのか。それはぜひ本書を開いて見てみてほしい。

インタビュー

■純真な主人公「ひとしずく」が持つ無限の可能性

今回出版された『ひとしずく』は一滴の水の粒を主人公とした児童文学です。もともとのアイデアはどのようにして生まれたのでしょうか?

今明:森の中を歩いていたときに「こういう物語があったら面白そう」と思いついた構想が原点です。ただ、そのアイデアをもとに物語を書き始めてみたのですが、なかなか筆が進みませんでした。それならば、と一番はじまりの部分、ひとしずくの誕生から書き始めてみようと思って形になったのが、この『ひとしずく』です。

「水の粒が主人公」という発想は森の中を歩いている時に生まれたんですね。

今明:そうです。朽ちた切り株に水の滴が落ちているのを見て、これで一つ物語が書けそうだと思いました。

今明さんはこれまでどのような創作活動を行ってきたのですか?

今明:もともとは演劇の方で活動をしていました。演出もやっていたので、その流れで小中・高等学校にてコミュニケーションのワークショップ講師を数年間務めたり、岩手に住んでいるので、県内のローカルプロジェクトのディレクターなどもやっていました。

2020年に『ひとひと』という絵本を出させていただいたのですが、これは子どもたちと演劇を作るときの教材、その手がかりとして書いたものです。

『ひとしずく』についてうかがっていきます。主人公の「ひとしずく」はどのようなキャラクターだと思いますか?

今明:純真で真っすぐなキャラクターですね。透明な身体に、どんな色も反映する。自分の体の下に葉っぱがあったら緑色になれるなど、無限の可能性を持っている存在だと思います。

「ひとしずく」が持つ可能性を、彼自身は気づいていないけれども、実はすごく多才ですし、この子の持つ純真無垢な透明さを抱きしめたくなるような、愛おしい主人公にしたいと思っていました。

「ひとしずく」を描くうえで気を付けたことはありますか?

今明:「ひとしずく」は考えすぎてしまう性格で、放っておくとモノローグのようになってしまうので、その部分は一言のセリフにまとめてしまおうという意識で書きました。あまり難しく書き過ぎないように、シンプルさを心掛けています。

また、内的な部分を長く書いてしまいそうになったときは、水の滴である「ひとしずく」の身体を描写することで客観的に表現するようにしました。無限に表現できるので、その部分は頭を使いましたね。

ストーリーの規模はとても小さいですが、「ひとしずく」の成長がしっかりと表現されていますね。

今明:空に行って、雨になって、降り注いで、誰かと出会ってというように、「ひとしずく」に大冒険させることもできました。ただ、それだともう既にありそうだなと思ったんです。

ここで描くことは「ひとしずく」の始まりの始まりであって、「この子は今この瞬間、次は何をしたいんだろう」という思考をその都度積み重ねました。そのゴールがクマザサの葉っぱを登りきることだというイメージは早い段階でできあがったので、そこに向けて物語を進めていった感じです。

クマザサの葉の上だけで展開されますが、それが逆に壮大さを感じられる余韻を残しているように感じます。

今明:私は宮沢賢治や小川未明、こども向けの世界文学文集といった古き良き児童文学や多くの絵本に育ててもらったという自覚があって、同じように私も、主人公を描くということを丁寧にしたいと思っていました。だから、物語をそこまで意図的に盛り上げなくてもいいと考えた部分はありましたね。

印象的だったのが、まだ雪の結晶だった「ひとしずく」の兄弟たちが「それじゃ、サヨナラ。また今度!」と言って水滴になり、クマザサの葉から滑り落ちていくシーンです。そこで「ひとしずく」はこの言葉について考え込んでしまうわけですが、このシーンにはどのような意味を込めたのでしょうか。

今明:「ひとしずく」という唯一無二の主人公と、その他の水滴の子たちを対照的に表現するセンテンスとして利用しています。実は他の子たちは何回も雨になり、海になり、雪になりということを繰り返していて、何度も旅をしてきている。その一方で、「ひとしずく」はこれから初めて旅に出るので、「また今度」の意味が分かっていないんです。

だから、「ひとしずく」は「また今度!」という言葉に戸惑うわけですね。

今明:そうです。「ひとしずく」の兄弟たちの言葉に明るさが帯びているのは、また今度ここに戻ってくることを楽しみに出かけていくからなんですが、「ひとしずく」だけは「また今度なんて本当にあるの?」と不安になってしまうのです。

それは輪廻転生とも解釈できますし、生命は循環しているというニュアンスも受け取れます。ただ、「ひとしずく」はそれを知らないと。

今明:作者である私自身は循環という自然の仕組みを知っているけれど、「ひとしずく」はそれを知らないわけですから、どのように彼の気持ちを表現するかは難しかったですね。時々はっと気が付いて「そうか、この子はまだ何も知らないんだった」ということをくり返しながら書いていました。

■岩手にとって「宮沢賢治」は日常生活に浸透している存在

この物語の中で流れている時間の対比についてもうかがいたいのですが、「ひとしずく」がこの物語の中で過ごしている時間の長さと、「ひとしずく」がいる森に流れる時間の長さは違いますよね。その対比について、意識したことはありましたか?

今明:その対比については実は意識をしていなくて、逆に今、質問を受けて、自分にとって新しい発見になりました。確かに言われてみると、「ひとしずく」が無我夢中になっている時間の流れと、森という不変の象徴となっている場所の時間の流れは対比になっていますよね。

その一方で、「ひとしずく」にも森の時間の流れに通じる、太古からの時間が流れているとも思っています。最初にこの物語のアイデアを思いついたときに、北極の5000万年前の氷が解けて海に流れ出した「ひとしずく」が世界と出会う、という始まり方もあると思ったんですよね。そういう意味では、今回の「ひとしずく」も不変の存在の一部だなという悠久の感覚をもって描いていたところはあります。

なるほど。「ひとしずく」はクマザサの葉の上で生まれたばかりだけど、実はその透明な体は太古からの時間を背負っている。先ほどの循環の話ではないですが、そういう風に捉えることもできますね。

今明:はい。この物語では無我夢中で生きる「ひとしずく」を描きましたが、実際に書いていると色々な発見がありました。

多様な解釈を受け止めてくれる作品だと思います。今明さんは岩手県にお住まいとのことですが、先ほど「児童文学に育てられた」とおっしゃっていた通り、物語の世界観として宮沢賢治の影響を感じられる部分がありました。

今明:とても畏れ多いですが…それはあるかもしれません。私は岩手県出身で、一度東京に出てまた戻ってきた人間なのですが、小学校、中学校で過ごす時間の至るところに賢治さんが紛れ込んでいるんですよ。合唱で歌ったり、国語の授業や総合学習なんかにも出てきていて。

また、こちらでは飲食店とかにも賢治さんの本が置いてあったりして、ちょっとした時に手に取って読んだりしていたので、日常生活に入り込んでいる感覚がありますね。

児童文学的な世界観の下地がそこで身についたというわけですね。

今明:そうですね。物語の、特に冒頭のあるシーンでは賢治さんへのリスペクトをわかりやすくこめた部分もありますし、世界観も重なるところは大いにあると思います。

本作は挿絵が「ひとしずく」の冒険を彩りますが、挿絵についてはいかがですか?

今明:挿絵のあきこ屋さんは、私が直接お声がけさせていただきました。というのも、この本を出すことになったときにはすでに物語ができていたので、挿絵のイメージもある程度あったんです。あきこ屋さんのこれまでの作品を見た際、この人だ!と直感的に思いました。

また、挿絵を描いていただける方を探す時に大事にしたことは、同じ東北の方ということでした。それは、雪が解けて滴になっていく過程を知っている人でないとイメージを共有し合えないと思っていたからです。あとは、一冊の本をつくり上げるにあたり、同じ熱意をもって制作してくださる方ですね。

また、カバーデザインの黒丸健一さんも岩手県出身の方ですが、残雪の儚さや芽吹く新緑が映える東北地方の早春の景色を知っている方だからこそ、あの配色にしていただけたと思っています。両者ともに本当に描いてほしい絵やカバーをつくり上げてくださってとても嬉しかったです。

この『ひとしずく』という物語を通して伝えたいメッセージとは何だったのでしょうか。

今明:この物語を通して何かメッセージを伝えたいという思いはあまりなくて、こどもに声をかけるように「ひとしずく、行っておいで」という気持ちで送り出しました。読者の方には「ひとしずく」の旅路からいろいろなことを感じていただけると思います。ひとしずくのからだや心模様が透明であることと同じように、一人ひとりの方の心の鏡になればいいな、と。

「ひとしずく」に自分を投影して読んでほしいというわけですね。

今明:そうですね。私は「ひとしずく」の透明な身体に無限を感じています。透明だからこそ、どんな色も反映することができる。だから、読者の方々の心と「ひとしずく」を重ねて読んでもらえると嬉しいです。

では、本作をどのような人に読んでほしいとお考えですか?

今明:言葉の選び方やテンポなど、子どもからご年配の方までまっすぐ届くように心がけて作ったので、どの年代の方にも読んでほしいと思います。「ひとしずく」は読者に気づきを与えてくれる主人公だと思っています。

また、仕事や家庭、育児であまり時間が取れずにバタバタしている同世代の方々から、「時間をゆっくり感じられる本で、ありがたかった」という感想を多くいただいていて、思いがけない反響でした。ですので、自分の時間を大切にしたいと思っている方にも読んでいただけるといいのかなと思います。

文庫サイズなので、持ち歩きもしやすいと思います。自分自身、自分の時間を作りたいときには本1冊と財布だけ持って出かけるということをするのですが、もしそういう機会があるときにはこの本を持って、たっぷりと『ひとしずく』の時間に浸ってもらえれば嬉しいですね。

(了)

書籍情報

プロフィール

今明 さみどり(いまあけ・さみどり)

岩手県在住。1987年生まれ。演劇をツールとしたコミュニケーション学習の小中学校講師、ローカルプロジェクトディレクターを経て、現在は県内の文化芸術の後進育成などに従事。
著書に『ひとひと』文芸社、2020年(うみやまのあいだ、あめつちのからだ名義で出版)
フィールドワークと執筆の記録「うみやまのあいだ、あめつちのからだ. com」

ひとしずく

ひとしずく

著者:今明 さみどり
出版:幻冬舎
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