「許す・許さない」の二択ではない 家族を「手放す」という選択
両親や兄弟姉妹、息子に娘。
家族だからって、いつまでもいい関係でいられるとは限らない。
「ソリが合わない」程度ならまだいいが、「多額の借金を抱えて、金の無心ばかりしてくる親」や「いつまでも働かずに自立できない子ども」など、身内であるがゆえに振り回され、見捨てることもできないという悩みを抱える人は決して少なくないはずだ。
一木けいさんの新作『全部ゆるせたらいいのに』(新潮社刊)は、こうした身内との付き合い方を通して家族のあり方を問う。酒に溺れては暴力を振るう父に育てられた娘は、結婚し、子どもを持った今、アルコール依存症に心身を蝕まれた老年期の父とどう向き合うのか。この作品が生まれた背景と、そこに込めた思いについて、一木さんにお話をうかがった。その後編をお届けする。
■「許す・許さない」の二択ではない 家族を「手放す」という選択
――アルコール依存症の父との関係に苦しめられてきた千映が、父や父の記憶とどう向き合うかがこの作品のテーマになっています。これはすごく難しい問題ですよね。全部許せればいいのですが、過去を思い返すとそんなに簡単に水に流すことなどできない。そして、みんな大なり小なり、忘れたいけど忘れられないことを抱えているものです。
一木:私にも「一回許したと思ったけど、よくよく考えるとやっぱり腹が立つ」みたいなことはあります。こういうのって、不思議と心が弱っている時に蘇ってくるんですよ。
――わかります。気分がいい時は忘れていられますよね。
一木:自分の気分を良くする手段をいくつか確保しておくことが大事なのかもしれませんね。
――ただ、「許す」と「許さない」の二択ではないんだなということも、この小説を通して考えさせられました。今回の小説の千映でいえば、肉親としてあくまで父親に付き合うことと、関係を断つことの二択ではなくて、その間には無数のグラデーションがあります。
一木:人間関係ってはっきり二つに分けられるほど単純じゃないですよね。そういう複雑さとか、わからなさみたいなものは書きたいと思ってました。
――また「許す」というのは、すごくエネルギーがいることです。何か許せないことがある人にアドバイスをするとしたらどんなことを伝えますか?
一木:許せないなら許さなくていいと思います。あとは、許せない思いを抱えている人に、他人が「許してあげなよ」とか「許した方が楽になれるよ」と言うのはやめたほうがいいです。他人というか、家族など身近な人でも、もちろん。
――千映が父の死後に持った感情「手放すことと愛することは矛盾しない」というのはすごく救いになる言葉だと思いました。ずっと父親との関係に悩んできた彼女の気持ちだからこそ重みがあります。
一木:書くかどうかとても悩んだ一文です。野暮かなと思い。でも書いてよかったです。「愛しながら手放す」というのは昔から考えてきた言葉でした。
――「手放す」というのは「許す」とは違いますよね。どんな感覚なのでしょうか?
一木:親愛の情はあるけれど、密な付き合いはせず、苦しさを抑えつけてまで連絡を取り合ったりせず、極端に言えば、一生離れていてもいいということです。「見捨てる」わけではなくて、相手への愛情を持つ一方で、相手が変わることを期待したりせずに、自分と自分の生活を大事にしていくという感じでしょうか。実際はなかなか難しいことなのですが、そうしないと共倒れになってしまったりする場合もあるので。
―― 一木さんが普段小説を書くうえで大事にしていることを教えていただきたいです。
一木:どのページをひらいてもダサい文章がない小説を書きたいと思っています。それが自分にとっての「究極」です。
――モチベーションのようなものはありますか?
一木:「テーマを探すことはあるんですか」と聞かれたことがあるのですが、書かずにはいられないことがあるから書いているだけで、何か探して書くくらいなら書かないでいいと思っています。モチベーションも同じです。でもこんなことは、まだ三冊しか出していないので言えることかもしれません。
テーマについて、「こんな題材で書いてみましょう」と編集者に提案されることもありますが、そこに自分の本当に書きたいことを入れこまないと、書けません。
――書きたいことは常にあるんですか?
一木:あります。
――職業的な意味ではなく、自身を「作家」だと自覚したのはいつですか?
一木:デビューした頃はそういう自覚はなかったんですけど、書いているうちに腹が据わってきたといいますか、この本を書くことでかなり覚悟ができたと思います。誰に何を言われても書き続けようと思えました。
――デビューした頃は、そういう風には思えなかった。
一木:デビューして一冊目の本が出た時は、わけもわからないままに物事があっという間に過ぎていったという感じです。二冊目は、題材がデリケートだったこともありどういう風に読まれるんだろうという不安がありました。それで今回が三冊目なのですが、そういう不安はまったくありません。書きたいものを書けたので何を言われても大丈夫です。
――どのあたりで「書けた」と思えましたか?
一木:この本は最初に1章を書いて、その次に最後の4章を書いて、それから2章、3章を書いたのですが、自信を持てるようになったのは4章の「愛で放す」を書いた後くらいです。自分が書かなきゃいけないことを書き切ったと思えたのがそのあたりです。その後の2章ではここまで書いてきたなかでの自分なりの手応えのようなものを感じることができました。
――最後に一木さんの小説の読者の方々にメッセージをお願いいたします。
一木:気が滅入るような話かもしれませんが、誰かとの関係から抜け出せなくて苦しんでいる人や、身近な人についてよくわからない、理解できないと悩んでいる人に読んでいただけたらうれしいです。
人が人を理解できないと感じる場面は、たとえば「なんで妻が不機嫌なのかわからない」みたいなものから、もっと深刻なものまでたくさんあります。そういうことに直面して、誰かのことを理解したいと切実に思っている人に届いてほしいですね。
(インタビュー・記事/山田洋介)
■著者プロフィール
一木けい
1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年「西国疾走少女」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。2018年、受賞作を収録した『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮社、新潮文庫)でデビュー。他の著書に『愛を知らない』(ポプラ社)。