『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーエンズ著【「本が好き!」レビュー】
提供: 本が好き!ノース・カロライナの湿地という大自然を背景に描かれる本書は、ひとりの少女の成長譚であり、殺人事件を追うミステリであり、人の愛を描く物語である。作者ディーリア・オーエンズは野生動物学者で、自然環境をめぐるノンフィクション文学賞の受賞歴を持つ。野生が支配する土地の静寂、突然顔を出す生き物たちの躍動感、葦のざわめきや空気の湿り気まで伝わってくる情景描写が、とにかく素晴らしい。
カイアの家族は「湿地の住人」だった。湿地は行き場の無い落伍者たちが住む無法地帯で、住人は町の人々に軽蔑されている。父は酒に溺れ妻子に暴力をふるい、母はカイアが6歳の時に家を出てゆく。兄弟姉妹は櫛の歯が欠けるようにいなくなり、父も戻ってこなくなった。
無断欠席補導員に連れられて学校に行っても疎外される。学校に行かなければ、やがて忘れられる。町の人々はカイアの存在を知っているのに、誰も助けようとはしない。彼女に手を差し伸べたのは、自活の手段を与え孫のように見守る黒人の夫婦と、兄の友人テイト少年だけだ。テイトはカイアの上に亡くなった妹の面影を重ねていて、ゆっくりと慎重に信頼関係を築いてゆく。
テイト少年のアプローチは、まるで臆病な野生の生き物に対するようだ。切り株の上に置いた綺麗な鳥の羽の交換に始まり、次第に恋に変わってゆく彼らの日々が実に瑞々しい。 テイトに読み書きを教わりカイアの世界は劇的に広がってゆく。しかし、彼が大学に進学した後、再び会う日の約束も空しく、カイアの孤独はますます深まってゆく。そこへ現れたのが・・・と物語は続くのである。
見捨てられた幼い少女が、湿地の小屋でただひとり生き抜いてゆく様子を描く過去の章と、湿地で若い男性の死体が発見される現在の章が交互に描かれる。ふたつの流れは途中でひとつになり、最後は緊迫した法廷劇へとなだれ込んでゆくのだが、ミステリとしての完成度よりも、圧倒的な孤独の中で強く生き抜くカイアの姿、彼女を支えようとする人たちの温かさに胸を打たれる。
カイアは生物学の本の中に「なぜ母親が子どもを置き去りにすることがあるのか。」という疑問への答えを探し求める。我々の中に今も残る古い遺伝子の力とでも言うべきか、自然の掟が物語の様々な場所に溶け込んでいる。
「ザリガニの鳴くところ」とは、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所、だそうだ。野生の美に溢れ、愛の行方と裁判の評決にハラハラさせる。そして何よりも、人間だって遺伝子に書き込まれた「生物としての指向」とは無縁でいられないのだと、強く感じさせる作品である。
(レビュー:Wings to fly)
・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」