だれかに話したくなる本の話

約430年前は「ダメな土地」だった江戸。それを変えた一大事業とは

今から約430年前の東京は、一面湿地で人が住めるような状態ではなかった。 このダメな土地を変えたのが徳川家康だ。

1590年、豊臣秀吉は関八州を支配下に置く北条氏を滅ぼし、家康を東海地方から関東地方に移封した。現在の東京都である江戸一帯は、ほとんどが低湿地。とても都市にするには向いていない土地だった。しかし、家康はここを都市にしようとしたのだ。

『家康、江戸を建てる』(祥伝社刊)は、2018年に直木賞を受賞した門井慶喜氏が2016年に出版した連作短編集で、ピンチをチャンスに変えた徳川家康の日本史上最大のプロジェクトの物語。2018年11月には文庫化されている。

連作短編のトップを飾るのが今では考えられないほど大きな規模の「治水工事」である。
家康に命じられ、江戸の地ならしを差配したのが伊奈忠次。当時、江戸には北から何本もの川が流れ込んでいて、これが江戸を泥地にしていた。そこで忠次は、江戸へ流れ込む前に川そのものを曲げることにしたのだ。

田畑の調査などをしつつ、2年かけて関東平野をくまなく歩く忠次は、江戸を水浸しにしている元凶が利根川であることに気づく。なぜなら江戸湊(東京湾)にそそぐ河口が広すぎるからだ。

実は江戸時代の利根川は現在の姿とは全く異なる。今では茨城県と千葉県の県境を流れ、太平洋に河口があるが、当時は江戸湊に注いでいた。江戸湊にある河口を大きく東へずらせば、江戸の土地から水が引き、人が住めるようになり、洪水の被害も小さくなる。そうして「川そのものを東へ折る」という壮大なプロジェクト「利根川東遷事業」が始まる。

この忠次の構想は、利根川をほぼ21世紀の河道にするものだった。現在の利根川は、東京都をかすりもしていない。
伊奈家はその後140年、8代にわたり代官頭をつとめた。その堅実かつ地味な仕事のためか、知名度は高くないが埼玉県や茨城県には伊奈の地名が今も残っている。

利根川の流れを変え、金貨を延べ、飲み水を引き、江戸城の石垣を積み、天守を起こす。本作は5つの連作短編を通して、家康とその家臣、それぞれの職人たちを描いている。現在の東京の原点となる江戸がどう建てられたのか。
散歩をしたくなる春の季節。本作を読んでから、東京の街を歩いてみるのも楽しいかもしれない。

(新刊JP編集部)

家康、江戸を建てる

家康、江戸を建てる

究極の天下人の、日本史上最大のプロジェクト。

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