キャリア官僚がコピペミスで自殺未遂。自分の「異常性」に気付かないのは何故か
たった一つの単純なコピペミスに責任を感じ、自殺未遂を起こしてしまう。
「そんなまさか」と思えることが、現実に起きている。そして何よりも、当事者は自分自身が「異常な行動を取っている」とは思っていないのである。
精神科医の西多昌規氏は、そうした自分の「異常性」に気づけない人たちと数多く向き合ってきた。強過ぎる被害妄想、しつこい他者攻撃、そしていくら人を傷つけても罪悪感がない――そんな心の病理と対処法を明らかにしたのが『自分の「異常性」に気づかない人たち』(草思社刊)だ。
■単純な凡ミスが壊した「仕事に対するプライド」
冒頭に紹介した、コピペミスから自殺未遂に至ったケースは、某省のキャリア官僚が起こしたものだ。
名は恵一郎といい、入省から12年、家族を持ち、子にも恵まれながら真面目に働いてきた。しかし、ここ最近、人員削減や国政の混乱から、これまで経験したことのない疲労を感じることが多くなっていたという。
終電を逃し、タクシーで帰宅。すでに妻も子どもも寝ている。自分も少しばかり寝て、朝6時にはまた仕事場に向かう。それでも睡眠不足には強い方だと自覚していたそうだ。
彼が担当していた事業の中間報告書をまとめる時期になり、表計算ソフトでの経理作業が増えた。そんなある日、間違えた数字をワープロソフトにコピー&ペーストしてしまったのだ。
ただ、このミスは業務上致命的なものではなく、傍から見ても単なる凡ミスである。
しかし、このミスに対して人一倍ショックを受けたのが恵一郎自身だった。彼はこうした凡ミスをほとんど犯したことがなかった。その衝撃が、ミスをした自分に対する自信や信頼を大きく揺らがせた。
彼の激務を支えていた仕事に対するプライド。それが一つのミスで瓦解する。それでも激務は納まらない。ますます凡ミスを深刻に考えるようになり、2ヶ月、まともに眠れた日はなくなっていた。
恵一郎が恐れていたのは、自分に対するバッシングだ。官僚という仕事ゆえ、国政に対する影響も大きい。自分が政治家や国民から罵倒される姿が思い浮かぶ。
休日出勤が続くなど、家族も恵一郎の異変に気づきにくかった環境もマイナスに作用した。西多氏は、早めに気づけていればこうした結末を辿ることはなかっただろうと述べている。
■「妻にも職場にも迷惑がかかる」 入院を拒むキャリア官僚
ある週末、恵一郎はレンタカーを予約し、出張と偽ってかつて出向していた地へと車を走らせた。着いたのは大きな川――。
彼はそこで入水自殺を試みたのである。
この自殺は、溺れかかっただけで幸いにも未遂に終わった。
地元警察に保護された恵一郎は、慌てて迎えに来た妻に引き取られ、車で帰宅する。しかし、その車内で「このことが職場に知れたら」「キャリアはもうおしまい」という恐怖に捉われ、呼吸を荒げ、「なんとかしてくれ!」と妻にすがりついたのだ。
西多氏は、総合病院に運ばれた恵一郎を診察した医師だった。救急医からは「うつ病が疑われる言動が見られる」という判断が下されていたという。
西多氏の言葉に対して、自分の気持ちを話す恵一郎。
「わたしは、職場だけでなく、日本の行政にまで、はかりしれないダメージを与えてしまったんです」
「行政のシステムというのは、小さなミスが大きな結果として表れるんです」
「今回のわたしのミスは紛れもない事実で、格好のマスコミのネタです。だから先手を打って、テレビや新聞に取り上げられるような死に方をしてやろうと思ったんです」
このような言葉を口にする恵一郎に、西多氏は入院をすすめたが、「先生にも、妻にも、職場にも迷惑がかかる」「自分には休息する価値もない」と拒絶されてしまう。
西多氏による診断は「うつ病」、より詳しく診断するならば「精神病(妄想)をともなううつ病」というものだ。重症で仕事や日常生活など社会機能が低下しやすく。不安、不機嫌、焦燥をともないやすく、自殺の危険性も高いという。
恵一郎が捉われている妄想は「罪業妄想」といい、自分が道徳的、倫理的に重い罪を背負っており、それによって罰せられると確信しているというもの。ほかに自分の過失や無能力のために、自分や家族が困窮してしまうと確信する「貧困妄想」、そして自分がなんらかの病気にかかっていると確信する「心気妄想」がある。これを「三大妄想」と呼ぶ。
しかし、一体なぜ彼は自分の異常性に気づくことができなかったのか。
その理由について西多氏は、まず否定的な価値観は、異常なものと認識しづらい部分があることをあげる。また、もう一つ、彼が抱えていた不安が相談しにくく、そして「病気に思われたくない」という心理が働いていたのではないか、と推察する。
こうしたケースは仕事の出来不出来に限らず起こることであり、責任感が強い人間は要注意とも言えるべきものだ。
「異常性」という判断の難しいテーマについて、本書では8つの事例を通して分析を試みている。どのケースにしても、これらを他人事として受け止めるべきではないだろう。周囲の人間が、そして自分自身がこうなってしまう可能性は存在するからである。
(新刊JP編集部)