パートナーの家の本棚にこんな本あったらイヤイヤ調査をしてみた
提供: 新刊JP編集部こんにちは、金井です。
今回は本題までに行く際の前置きが長いので、飛ばして読んでいただいて大丈夫です。
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今年9月にオープンした高島屋日本橋SCに、「HummingBird Bookshelf(ハミングバード・ブックシェルフ)」という本棚専門店が出店されたことが話題になりました。個性的な書店「かもめブックス」などを手掛ける鴎来堂さんならではの企画だなあと思います。
さて、個人的にですが、本棚を大きく分けると2種類あると思っています。
1つは「本を保管するための棚」。
「本棚」はその言葉の通り、本を置いておくための棚です。でも、すごくないですか? 「本を置いておくためだけにある棚」ですよ。しかもだいたい結構でかい。本って生活必需品ではないじゃないですか。新刊JPの編集長がこういうことを言うと怒られるかもしれないけれど、なくても生きていけるものです。でも、その本のために、専用の棚がある。本の偉大さが分かる言葉です。
もう1つは「見せるための本棚」。
これは異論がある人もいると思うのですが、例えば子どもの頃、友達の家に遊びに行った際に、その家に百科事典がぎっしり詰まり、棚の上の方には文庫本がこれまたぎっしり詰まった棚がありませんでしたか? それを見るたびに、「うわあ、すげえ…」と思ったものです。でも、実際は友人の部屋の中にある、マンガがぎっしり詰まった棚の前にずっといるんですけどね。まあ、つまりはコレクションを見せるための棚です。
僕は他人の家の本棚を見たい一方で、自分の家の本棚は見せたくない派の人間です。なぜなら、本棚には自分自身の思考や悩み、偏愛、性癖がそのまま反映されているからです。
例えば、我が家には「ユーモア力」を鍛えるための本があるのですが、察しのいい人はそれを見たら「あっ、この人こんなの読んでるんだ。なるほど、ユーモラスな人だと思われたいのね」と思うでしょう。ああ、そうだよ、思われたいよ。
これを逆手に取り、重厚な本を並らべれば、「この人は勉強家なんだな」というブランディングをすることができる。
本が読まれなくなりつつあるこの時代において、「本を読む」という行為そのものがハイレベルになってきています。
もしかしたら読書家の方々の中には「本といっても文芸と実用書は違う。ビジネス書も違う」と思われる方もいるでしょう。僕もそう思います。ただ、「世間」の中に顔を出し、本を読まない人の多さに圧倒されながら、それでも本の話をしてみると、本をあまり読まない人からすると、文芸も実用書もビジネス書もすべて一つの「本」なんです。分かりやすく言えば、ジャンルで細分化されず、「本」として解釈されるわけです。だから、「小説を読みたい」のではなく「本を読みたい」となる。
僕は大学院生のときに、ある固有名詞に帯びる解釈の多義性について研究しました。固有名詞であっても、人によって解釈の幅が存在し、その解釈の幅の広さによって、固有名詞に紐づくコミュニティへの参加濃度を示すことができるのでは、と考えたのでした。
もしかしたら、「本」という抽象的な言葉も、その対象になりえるのかもしれません。「本」をめぐる解釈の問題はいづれ試みてみることにして、「本」という言葉を持つ人と持たぬ人は分かれつつあります。そして、感覚的にではありますが、「意外だな」と思うのは、「本」という言葉を持たぬ人にとって、「本」は憧れなのです。
一方で、「本」という言葉を持っている人は、本棚に並んでいる「本」はその人の知性や思考を計るものになります。「ああ、この作家が好きなんだ。ちょっと合わないかも」と何気なく思ってしまう。ちなみに僕の家の本棚の最下層にはグラビアアイドルの写真集が結構な冊数入っています。それを見たら、知人友人はどういう反応を返すのでしょうか。
逆に言えば、本棚に差す本の選び方によって自分自身のイメージをコントロールできるということでもあります。面白い人なんだな、優しい人なんだな、ヤバイ人なんだな、ちょっときつい人だな、といったものを本でコントロールするわけです。