やってみてわかった作字の難しさ 円城塔、新作『文字渦』を語る(1)
出版業界の最重要人物にフォーカスする「ベストセラーズインタビュー」。
第102回となる今回は、新刊『文字渦』(新潮社刊)が話題を読んでいる円城塔さんが登場してくれました。
『文字渦』はその名の通り「文字」への偏愛と奇想が渦巻く作品集。「こんな字あるの?」と驚いてしまう漢字や、所狭しと並ぶルビ、文字でできたインベーダーゲームなど、作品のストーリーだけでなくめくったページのビジュアルにも圧倒されます。
今回は、2007年のデビュー以来「小説」の概念を揺さぶる作品を世に出し続けている円城さんに、『文字渦』のこと、あたためているアイデアのこと、そして仕事や小説のことなど、広くお聞きしました。(インタビュー・記事/山田洋介)
■やってみたら難しかった「新しい漢字作り」
――2015年にあったジュノ・ディアスさん、都甲幸治さんとのトークイベントで、円城さんは「新しい漢字を作っている」ということを話していました。新作の『文字渦』には見慣れない漢字が多数出てきますが、この作品はその時におっしゃっていたアイデアが形になったものなのでしょうか。
円城:いえ、あのトークイベントでしゃべっていたのは、この本の前の連載のことだと思います。当時はその準備をしていたんです。
――『文字渦』では、新しい漢字の創作はしていない。
円城:当初は作る気だったんですよ。でも、雑誌に掲載したり本にするわけですから、新しい文字をつくるとなると新しいフォントを作ってもらう必要があります。準備段階から出版社や印刷所の協力が必要なわけです。
だから今回の本の連載を始める前に、何文字くらい作っていいかと相談したら二百字から三百字くらいは作っていいという了解をもらっていたのですが、内心「そんなに作れないんじゃないか」と思っていました。実際、やってみると自分が考えついたものって案外既存の漢字の中にあったんですよ。
――表題作の「文字渦」に出てくるのは既存の漢字かどうかを確認するのも大変そうな漢字ばかりです。
円城:ユニコードの分厚い本と「超漢字検索」っていうアプリを使って確認していました。アプリの方は「大漢和辞典」という15巻くらいある漢字字典まで入っていて、「“人”が四つ入っている漢字」というような条件を入れると探してくれる。
すると大体あったんですよね。そうなると、「あるなら作らなくてもいいんじゃないか」という気持ちになってきて(笑)。だから「文字渦」にある漢字は基本的にはユニコードにあります。ないのは数文字だけですね。基本的にはユニコードにある漢字を、という方針に切り替えました。
漢字を作るのは、やってみると案外難しかったです。無理矢理作ることはできるのですが、そうすると見た目が漢字に見えない。何でも三つ並べてみるとか、手は色々あるのですが、そこまで面白いだろうかという気持ちもあって、それなら既存の漢字の中で変なものを使ったほうがいいなと。
――それだと出版社や印刷所の負担も軽くなるわけですか?
円城:それが、そうでもないんです。ユニコードの中でもあまりに珍しい字はやはりフォントを作らないといけませんから、あらかじめ書き出しておいて、「今回はこの文字を使いますよ」と毎回原稿を渡す前に知らせていました。
フォントは1日に数文字しか作れないらしいので、締め切り当日に「今回はこの10文字を使ってください」とやってしまうと、おそらく原稿が落ちてしまいます。
――今回は断念したということで、新しい漢字作りは次作に持ち越しということになりますか。
円城:どうでしょう。正直あまり必然性が見えない(笑)。漢字を作るのはそれなりにハードルが高いのもありますが、新しい漢字を作らなきゃできないことって何かなと考えた時にあまり思い浮かばないといいますか。
そういえば、H.P.ラブクラフトの「クトゥルフ神話」に出てくる神々の名前を表す漢字を作るというのを考えたことがありますね。「アザトホース」とか「クトゥルフ」という漢字を一文字で作ってルビをふっておいたら面白そうだなと。誰か笑ってくれそうじゃないですか。
――個人的にはテキストファイルの中に溢れる英数字の中の日本語の文字列を海に浮かぶ島になぞらえる「緑字」が斬新で好きです。
円城:僕も好きなんですけど、「何を書いているかわからない」と言われてあまり評判は良くないんです(笑)。
ただ、テキストファイルの仕組みを知っている人はおもしろがってくれるんじゃないかという気持ちはあります。テキストデータに膨大なメタデータがついていて、履歴も管理しているから、テキストを消したり直したりすると勝手に情報が蓄えられていく場合もある。
1文字書き足して、それを消して、ということを繰り返しているだけでもどんどんバイト数が増えるから、結果的に1文字も書いていなくてもワードファイルが重くなってしまうわけです。こういう仕組みを知っている人には「緑字」は想像しやすい話なんじゃないかと思います。
――作品の面白さとは違う次元で、アイデアなどでものすごくコストがかかっている短編集だと感じました。
円城:まあホラ話なので、そこまでではないですよ。ただ、「天書」にある「もんがまえ」のある漢字でできたインベーダーゲームのところは手間がかかりました。小説には間違いも正解もないけれど、パズルやゲームやプログラミングは正しくないとツッコミを入れてくる人がたくさんいるので。
そのインベーダーゲームも、やはりユニコードの本から「もんがまえ」の漢字を引っ張ってきて眺めたり、中国古典アーカイブで調べたりしながら作っています。だから、基本的に検索に頼っている。
「こんなものどうやって作ったのか」とよく聞かれるのですが、電子的手段がないと作れないです。
――「かな」では、紀貫之の和歌「藤の花 あだに散りなば 常盤なる 松にたぐへる かひやなからむ」をアナグラムにして「カムブリア 爆発の時 散る習ひ 何にか学べ 八千畳なはる」という別の和歌を出現させていますね。
円城:あれも同じです。考えたってできるわけがない。紀貫之の歌集を引っ張ってきて手元のパソコンに置いておいて、「か」「む」「ぶ」「り」「あ」の文字が入っている歌を探して、じゃあ次は「ば」「く」「は」「つ」を探して、というふうに探しながら作っていきました。そこはもう手軽なスクリプトがないとできません。アプリも使って辞書で調べて、コードを書きながら作っています。
第二回 ■文字への偏愛と奇想の書『文字渦』を生んだ円城塔の頭の中 につづく