「死んだ」と思われた16歳の少年は、ギャング団から抜け出すために一人で国境を越えた
若者がギャング団から抜け出し、国境を越えて逃亡する。そんな映画のような話が、中南米においては当たり前のように転がっている。しかし若者たちが逃げるために別の国やってきたとしても、たいていの場合は保護されて母国へと送還される。難民と認定されて辿りついた国に残ることができるのは、ほんの一握りである。
NGO「ストリートチルドレンを考える会」の共同代表で、スペイン語圏を中心に取材を進めるジャーナリストの工藤律子さんは、ホンジュラスの若者ギャング団の実態をレポートしたノンフィクション**『マラス』**(集英社刊)で、ホンジュラスの若者ギャング団を抜け出し、メキシコに辿り着いたアンドレスという少年の存在を取り上げていた。
現在20歳のアンドレスは、ホンジュラス第二の都市サン・ペドロ・スーラ出身だが、難民認定を受けてメキシコシティに住んでいる。勉強意欲も高く、頭の回転も速い。ただ、遅刻癖が玉に瑕で、働いていたホテルを「自主退職」せざるをえなくなり、職を転々としながらまたホテルでの仕事をするために自立に向けて励んでいる。
「自分の家を持ちたい」という目標とともに、自分の経験をつづった本をホンジュラスの子どもたちに読んでもらいたいというささやかな夢を持っている。
ホンジュラスにいた頃には、未来に向かうための選択肢がなかった。いや、選択肢がなかったのではなく、別の選択肢――つまり、ギャング団に入る以外の選択肢に目を向けられなかったのだ。メキシコにはそれがあった。アンドレスの半生はそれを体現する。
『ギャングを抜けて。僕は誰も殺さない』(合同出版刊)はアンドレスと親交が深い工藤さんが、彼へのインタビューで集めた話をできるだけ彼の言葉のまま編集し、まとめた一冊だ。
彼の父親もギャング団に関わり、麻薬密売の仕事を請け負っていた。子どもにとって父親はヒーローだ。それはギャング団の仕事にいたとしても同じである。危ない仕事を請け負い、大金を稼ぐ。そんな父親の姿を見て、自分もそうなりたいと思う子どもは多いのだという。アンドレスもその一人だった。
ところが、父親は殺されてしまう。おそらくは麻薬密売の縄張り争いで殺されたのだろう。言葉にならない悲しみ、憎しみを覚えたアンドレスは「敵を討ちたい」と思うようになり、中学生になると“半ば強制的に”「バトス・ロコス」というマラス(若者ギャング団)に入ることになる。
最初は縄張りの見張り役(プンテーロという)だったが、少しずつ仕事の幅は広がる。販売用のマリファナの仕分け、「家賃」(いわゆるみかじめ料)の取り立てなどを経て、ついに銃を渡される。「ひとり、殺さなきゃいけない」。見習いの下っ端から、正式なメンバー昇格する儀式である。
どんなに嫌だと思っても、サン・ペドロ・スーラのリベラ・エルナンデスという地区しか知らない16歳の少年に断る余地はなかった。もし断れば、自分が死ぬことになる。逃げ出すにしても、どこへ逃げればいい? 悩みに悩むアンドレスだが、選択肢はなかった。
と、そこで事件が起こる。自分を育ててくれた祖父母の家でぼんやり外をながめていると、敵のマラスのメンバーで、普段からアンドレスと瓜二つだといわれていた少年が偶然家の前で撃たれて死んだ。そして、近所の人たちが集まって、「チェレ(アンドレスのニックネーム)が殺された!」と叫び始めたのである。
「死んだ」と勘違いされたのはアンドレスにとっては大きな幸運だった。
警察が現場検証をやっている間、バトス・ロゴスはこの地区に近づけなくなる。その上、自分は死んだと思われている。死んだ人間を追ってはこないだろう。でも、どこへ逃げる? バトス・ロゴスのいない場所へ。アンドレスはお金を集めて、一人、ホンジュラスとグアテマラの国境へと向かった。
ここまでがこの本の前半部分である。かなり乱暴にまとめてしまったが、アンドレスの言葉は一つ一つが重い。父親が殺され、自分が敵を打とうとするアンドレスの心は、言葉だけならば格好の良く感じるかも知れないが、憎しみが憎しみを生むという負の連鎖に過ぎない。
マラスの下っ端として活動をする中で、彼は次第に迷いを抱えるようになる。「本当にこれでいいのか」という迷いだ。でも、その迷いを肯定してくれるものはなかった。
日本に生きる私たちは「迷い」をネガティブなものと受け取りがちだ。しかし、「迷い」は選択肢があるからこそ生まれるものである。アンドレスの場合、迷いを感じても他に選択肢がないため――他の選択肢を与えてもらえなかった、とも言えるだろうが――マラスに居続けるほかなかったのだ。
「迷い」があることは健全なことである。「迷った時に別の選択をしても大丈夫」という環境があるからこそ、自由に迷えるのだから。
では、彼が置かれた状況の中で、別の選択肢を持たせるにはどうすればいいのだろうか? そんなことをアンドレスの言葉は考えさせてくれる。
アンドレスはその後、メキシコで難民認定を受けて、そこで暮らしている。彼の逃避行はロードムービー的な要素も入り交じっているが、もちろん気楽なものではなく、過酷だ。連れ戻されたら一巻の終わりである。
今でもマラス時代のおぞましい殺人や拷問の風景を夢で見てうなされることがあるという。それでもアンドレスは、数ある選択肢を手にしてその中で自分の生きる道を見つけ、前に進もうと努力をしている。
人が前向きになるには、安心できる未来があるからこそだ。選択肢がない世界に希望は生まれない。ホンジュラスから遠く離れたこの日本に、希望はあるだろうか? アンドレスの言葉がただ胸に響いてくる。
(金井元貴/新刊JP編集部)