養老孟司が語る「個性的」になることの本質とは?
社会もビジネスもグローバル化という流れにあるなかで、「個性の発揮」「独創性」が重要視されるようになっている。
それ自体は、時代を反映したごく自然な流れなのだろうが、例えば仕事において、経営者や上司から「個性を発揮しろ」「独創性を持て」と言われても、何をどうすれば個性を発揮したことになり、独創性を持ったことになるのかわからない。
おそらく、そう言っている側も、それが具体的に何を指すのかは、わかっていないのではないだろうか?
それでも「個性」だ「独創性」だなどと言われた結果、「個性って何?」「自分って何?」と悩み、挙げ句の果てに自分探しの旅を始めてしまう人もいるかもしれない。個性や独創性、自己、自我、自意識を含めた「自分」とはどういう存在なのか。
そのヒントを与えてくれる一冊が『「自分」の壁』(養老孟司著、新潮社刊)だ。
本書では、解剖学者の権威であり数々の著作を持つ養老氏が、「自分」というものを様々な切り口から独自の視点で捉えている。その中から著者ならではの「自分」の捉え方をいくつか紹介していこう。
■「個性」の発見は「人と違うところ」を探すことではない?
著者は職場などで「個性の発揮」を求める風潮があるが、「そんなものがどれだけ大切なのかは疑わしい」と語る。そのことを端的に示し、著者がよくたとえに用いるのが、大学時代に見た精神病の患者だという。
その患者は、壁一面に自分の排泄物を塗りたくる癖があったという。個性的という意味では、これほど個性的な人はいないが、もちろん憧れの対象にはならない。 人によっては、そんなのは「個性ではない」「もっと立派な個性があるのだ」という人もいるかもしれないが、人と違うところを「個性」と呼ぶのであればこの患者はかなり個性的だ、と著者。
この指摘は、理屈で考えれば納得できるだろう。その上で著者は、**「別に発揮せよ、と言われなくても自然に身についているものであり、周囲が押さえつけにかかったとしてもその人に残っているものこそが個性」**だと語る。
そして、個性は放っておいても誰にでもあるものなのだから、むしろ、この世を生きていく上で大切なのは「人といかに違うか」ではなく、「人と同じところを探す」ことではないかと述べている。
人と同じところを探していけば、どうしたって同じにならないところが見つかる。それがその人にとっての「個性的」な部分なのだろう。
■「自分の胃袋」を知ることの大切さ
仕事をしていれば、「他人のために働く」「状況を背負いこむ」ということが当たり前のようになってくる。しかし、そんなことをしているうちに「自分の人生ではなくなるのではないか」と不安に駆られることもあるだろう。会社の犠牲、家庭の犠牲になって割りを食うのではないか、報われないのではないだろうかという不安だ。
著者は、そんな不安と対峙するときに重要になってくるのは、「自分の胃袋」の強さを知ることだという。
つまり、自分はどこまで飲み込めるのか、どこまでだったら消化できて、どのラインを超えると無理なのかということだ。若いうちは、そのあたりの加減がわからないことが多い。食べ放題の焼肉を調子に乗って胃袋に収め、気持ち悪くなってしまうようなものだ。
自分の胃袋がどこまで丈夫なのかは、飲み込む前に明確にわかるわけではない。その意味では運に左右されたり、賭けになってしまったりする部分もある。
しかし、何かにぶつかったり迷ったり、挑戦や失敗を繰り返すことで、「自分」がわかってくる。著者はそうやって自分で育ててきた感覚が「自信」になるのだと語る。
そうして得た「自信」が、人それぞれの中に残った「自分」なのだろう。当てもゴールもない「自分探しの旅」をするよりも、「自信」を育てることが「自分探し」の近道なのかもしれない。
(ライター/大村佑介)