【「本が好き!」レビュー】『私たちの星で』梨木香歩、師岡カリーマ・エルサムニー(著)
提供: 本が好き!これは『図書』(2016年1月号~2017年8月号)での連載、梨木香歩さんと師岡カリーマ・エルサムニーさんとの往復書簡を、まとめたものだ。
ひとりの著者によるエッセイやコラムと比べて、ふたりの往復書簡という形は、ちょっとスリリングだ。
相手の書簡次第で次々に話題は移り変わっていく。
相手の振りを受け止め、答えることによって、広がる世界、深まる世界を味わった。
そうして、読んでいる間じゅう、居心地の良さを感じていた。
誠実に、大切に、言葉を使う方たち、何処に連れていかれるとしても、安心してついていける読書だった。
カリーマさんが、自身ののルーツであるカザンを訪れた話がことに心に残る。
エジプト人の父と日本人の母を持つカリーマさんがカザンをルーツと呼ぶ理由、アブケイ(おばあさん)のタタール料理の思い出に、すっかり魅了されてしまった。
(あとがきで、カリーマさんは、梨木香歩さんとの共通点のひとつにファンタジーをあげられているが)まさに、質のよいファンタジーを味わったような気持ちだった。
そして、この話を受けて、次の書簡で梨木香歩さんは「ムスリムホームの温かさを、肌感覚で伝えていただいた思い」と書いている。
私は、「ムスリムホーム」という言葉に、はっとする。
私にはあまりに遠いイスラム教。わかろうとも思わなかったその宗教の名前からひょっと出てきた「ムスリムホーム」という言葉の居心地の良さに驚き、身勝手な親しみを感じた。
これではあまりに恥ずかしいので、せめてカリーマさんの本をちゃんと読みたいと思う。読めるかな。(わたしは師岡カリーマ・エルサムニーという名前さえ、今まで知らなかったのだ)
「文化はそれ自体が重複的に融合した異文化の結晶であり、個人はその多彩さを映す鏡であると同時に(中略)どこかに新しい色をもたらす要素となればいい」と語るカリーマさん。
それは、彼女の宗教への姿勢、思いに繋がる。そういうカリーマさんの書いたイスラム教についての本を、私は読んでみたい。
梨木香歩さん、この本では、いままでの本に比べて、その時の社会の動きについて(自身の立ち位置について)かなりはっきりと書かれている、と感じた。
共謀罪・安保法案について、私たちの憲法について。
安保法案反対集会の夜、梨木さんは、国会周辺にいて、デモが変わってきたと感じていたそうだ。
「寛容」という言葉、「闘いというスタイルを持たない人たちが、自分自身と対話しながらやってきた」という言葉が印象的だった。
それに対して、カリーマさんは、「アラブの春」が無残な結果をもたらしたエジプトで、「あの時何もしなかった人たちほど、「ほら、言わんこっちゃない…」と、劣等感の裏返しでしかない愛国心をふりかざす」と書く。心して読みたい言葉だ。
愛国心に、序列化欲求・優越欲求が入りこんで、さらに「意地」が加速するととんでもないことになると、この話題は、あちらの書簡、こちらの書簡と、形を変え、微妙に繋がりながら、何度も出てくる。少しずつ深まりながら。
読みながら、浮かび上がってくるのは、「個」という言葉。梨木さんにもカリーマさんにもなんてしっくりくる言葉だろう。
人のなかにありながら、自分の場にしっかりと立ち、そこから、世界じゅうを自由に旅していく二人。
この本を読む心地良さは、二人の堂々とした「個」の加減にある。
富士山のこと、シリア難民の人たちのこと、アジアとヨーロッパの境界のこと、渡り鳥のこと…
そこから発展し、堀りすすめられていくもの、まだまだ、たくさんたくさん!
とても一気に消化できない内容に、くらくらする。
この本はいったい何だろう。
あるとき、カリーマさんは「渡り鳥は、地上を広く見渡すことはできるけれども、地下深く流れる水脈を見出すことはないでしょう」と書く。
これに対しての梨木香歩さんの言葉は「この「渡り鳥」は、地上を広く見渡して、「ここ、ここ、この辺に水脈がありそう!」といつも教えてくれているではありませんか」だった。
渡り鳥のまなざし! この往復書簡もきっとそうなのだ。
頭上高くを飛び、たくさんの水脈のありかを教えてくれたのだと思う。
(レビュー:ぱせり)
・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」