だれかに話したくなる本の話

伝説的バンド「INU」解散の理由 町田康インタビュー(2)

出版業界の最重要人物にフォーカスする「ベストセラーズインタビュー」。

第99回となる今回は、新刊『湖畔の愛』(新潮社刊)を刊行した町田康さんです。
『湖畔の愛』は、龍神が棲むという湖「九界湖」のほとりにある老舗ホテルを舞台に繰り広げられる、恋あり笑いあり涙ありのドラマを書いた短編集。アクの強すぎる登場人物たちと、どんなにシリアスな場面でもどこかとぼけた会話がクセになります。

今回はこの作品の成り立ちについて、そして町田さんのルーツといえるパンクロックと音楽について、たっぷりと語っていただきました。
(インタビュー・文/山田洋介、写真/金井元貴)

■伝説的バンド「INU」解散の理由

――町田さんといえば、パンクバンド「INU」のボーカリストとしても知られていますが、今回の作品の中にも「頭のなかはpretty vacantな若い兄ちゃん」「プロをなめろ」など、パンクロックの精神を感じさせる一文がいくつかありました。音楽活動を始めた頃のお話をうかがいたいのですが、元々反骨的な気質があった方なんですか?

町田:そんなことはないです。始めたのは16歳くらいの時だったのですが、当時パンクバンドをやっている人は、そんなに上手じゃなくて勢いだけでやっている人たちが多かったので、これだったら自分でもできそうだと思えたんです。

ただ、実際に始めてみると勢いだけではもたない部分があって、自分のバンドも含めてすぐに解散したり低迷したりというケースが多かったです。

表紙

――「INU」が解散したのも、勢い以外のところで技術が伴わないというのが理由にあったのでしょうか。

町田:技術的な問題というよりは、勢いがなかなか持続しなかったんだと思います。そもそも「一回やったらおしまい」というところがあったので。ロックは一度で全部出し切ってそれで終わりというのが本質的にありますから、形骸化せずに継続するのは難しいことです。

――特にパンクロックは、概念として継続が想定されていないような気がしますね。

町田:「パンクロックはこういうものだからこうしよう」ということではなくて、事後的に思い返してみると、だいたいみんなそんな感じだったよね、ということです。

「パンクとは」というのを最初に考えて、その概念にしたがって活動するのはもっとも「パンク」ではないことですからね。だからそういうことはあまり考えたことがなかったです。

――「INU」が結成されたのは、日本にパンクロックが入ってきた直後の時期です。初めて触れたバンドやレコードについてお聞きしたいです。

町田:どうだろう……。当時は今のように情報がリアルタイムで入ってこなくてタイムラグがあるかもしれませんが、私が初めて国内盤として知ったパンクはラモーンズだったんじゃないかな。

輸入レコードショップに行けばもっといろんなバンドのレコードがあったはずですが、僕は田舎の高校生でしたからね。そういうところには行けませんでした。

表紙

――自分でもバンドを始めるとなると、相当強いインパクトがあったんじゃないですか?

町田:そうですね。それまでにあった、たとえば「イエス」とか「ピンクフロイド」とか「ローリングストーンズ」のようなバンドもいいんだけど、完全に形ができあがっているような印象でした。

でも、パンクは粗削りで未完成で、さっきの話ではないですが「キャラクターが唐突に死ぬ」みたいなこともアリなような、皆が何となく「こうしなきゃ」と思っているルールや慣習、伝統が全部打ち破られている感じがしたんです。「こういうのもアリなんだ」と思いましたし、自分もやってみたくなりました。

十代でいろんなものに影響されやすい年頃だったというもあると思います。中原中也がダダイズムに衝撃を受けて、傾倒するようになったような感じかもしれませんね。

最終回 ■「どうなる」とか「どうなりたい」とかは考えたこともなかった につづく

湖畔の愛

湖畔の愛

ようこそ、九界湖ホテルへ。龍神が棲むという湖のほとりには、今日も一面、霧が立ちこめて。創業100年を迎えた老舗ホテルの雇われ支配人の新町、フロントの美女あっちゃん、雑用係スカ爺のもとにやってくるのは―。しかし、誰が知ろう、神の心を。鏡のような湖面の奥底でどれほど奇怪な神秘が渦巻いているかを。天変地異を呼びおこす笑劇恋愛小説。

この記事のライター

山田写真

山田洋介

1983年生まれのライター・編集者。使用言語は英・西・亜。インタビューを多く手掛ける。得意ジャンルは海外文学、中東情勢、郵政史、諜報史、野球、料理、洗濯、トイレ掃除、ゴミ出し。

Twitter:https://twitter.com/YMDYSK_bot

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