核は人が持つ恐怖心を映し出す鏡 古川日出男『ミライミライ』が描き出す「もう一つの戦後史」(2)
「この年のこの出来事がなければ、その後の世界はこう変わっていた」
歴史が好きな人であれば、この種の空想をしたことは一度や二度ではないのではないか。
「あったかもしれない別の歴史」に思いを馳せる、そんな人にとって、作家・古川日出男の長編『ミライミライ』(新潮社刊)は刺激的な読書体験になるはず。
第二次世界大戦後、敗戦国である日本はアメリカとソ連に分割統治され、ソ連に統治される北海道では、解散を拒否した旧日本軍の兵士らが抗ソ連のゲリラ戦を展開。日本政府は、インドとの連邦制の道を摸索する。
荒唐無稽だと思うなら、それは歴史を信頼しすぎというもの。この筋書きは大いにありえたのだ。あったかもしれないもう一つの戦後史『ミライミライ』について、古川さんに疑問をぶつけるインタビュー。その後編をお届けする。
(インタビュー・記事/山田洋介)
■古川日出男『ミライミライ』が描き出す「もう一つの戦後史」(1)(古川日出男インタビュー前編) を読む
■核は人間が持っている恐怖心やネガティブな感情を映し出す鏡
――作中に何度か「叙事詩」という言葉が出てくる通り、この作品は抗ソ連運動を率いた「いづる大佐」を中心とする叙事詩としても読めます。
古川:確かにそうなのですが、読者には叙事詩とはわからないようにしています。建築に例えるなら、読者が最初に立つ場所は、叙事詩という建築物の内側なんです。だから、外側はわかりません。
そして時々視点を変えてその建築と距離を取ってみることで全体の骨格と外観を見せて、ああこれは叙事詩だと気づかせる。そうやって読者の立ち位置を動かすために、「今」起きていることとは距離があることを示す「むかしむかし」や、「みらいみらい」という異様な語り口を使っています。読み進めるうちに読者がだんだん叙事詩という伽藍の全体をつかめるようにするというのが、この小説をかくうえでの自分の中の一つのミッションでした。
――『ミライミライ』でも、核兵器が各国の戦略に織り込まれているように、第二次大戦後の世界は核兵器なしには語れません。近隣の国が核武装をすると人は一斉に反応して、自国の核武装も含めたあらゆる言説が飛び交います。「まだ起きていないこと」にこれだけ人が敏感に反応するトピックは核兵器くらいで、実際にそうした妄想めいた言説によって物事が動いてしまうケースもある。こうした現状についてどのようなお考えをお持ちですか。
古川:個人的には、沖縄で米軍ヘリが落ちたことより、核開発をしている国が発射したミサイルが上空を通過したことの方が大騒ぎになるのは不思議な気がします。通過しただけで落ちていないわけですからね。
その意味では、核は人間が持っている恐怖心やネガティブな感情を映し出す鏡だといえます。今の世界で最も巨大な問題だからこそ、そこに映し出される妄想の量たるやすさまじいものがある。できることは冷静に考えることしかありません。
誰かが考えた「悪いシミュレーション」に合わせて現実は動きます。それに対抗できうるのは「良きシミュレーション」だけで、そこには小説の可能性がある。
小説は全てシミュレーションです。「世界がこちらに進んだらどうなるか」と小説で示す方向性を現実より少しいい方向にずらしておけば、読者が考えることも少しずつ良くなると信じています。
――古川さんは今年デビュー20周年ということで、過去に書かれた作品も引き合いにしてお話をうかがいたいです。今、建築のお話が出ましたが、2013年に刊行された評論『小説のデーモンたち』で、小説を「家」や「建築」に喩えられていました。今回の作品もその意識を持って書かれたのでしょうか。
古川:意識していたのは「建築」と「音楽」です。建築の意識を持って小説を書くというのは、『小説のデーモンたち』で書いたように、小説の設計図面の話です。
ただ、建築は立ち上げたらそこで完成なわけで、時間の概念がありません。一方で音楽は最初の音を鳴らしてから最後の一音を鳴らすまでが音楽なわけで、時間の概念が入ってきます。建築という空間芸術と音楽という時間の芸術を一冊の本に溶かし込みたいと思って書いていました。
――「あったかもしれない別の歴史」ということでは、『ミライミライ』は、ナポレオンのエジプト遠征を題材にした『アラビア夜の種族』と通じるものがあります。ただ、長年疑問だったのですが、あの作品は翻訳なんですか?読み終えた後に、古川さんが翻訳の底本だとしていた英語版の『Arabian night breed』を探したのですが、見つかりませんでした。
古川:あれは前書きで「僕のオリジナルではない」と嘘をついているけど、一から十まで僕の創作です。
発売直後に青山ブックセンターに行ったら、お店の人が翻訳小説だと思ったのか、海外文学の棚に置かれていました。それはこちらの試みとしては「成功」なのですが、何とも微妙な気持ちになったのを覚えています(笑)。
――私も翻訳だと信じきっていました。あとがきで、底本はサウジアラビアの書店で見つけたと書かれていましたが、そもそもサウジアラビアに行ったところからが作り話なんですか?
古川:それは本当です。嘘ってゼロから作るとダメで、本当のことを混ぜておいて中心部を嘘にするのが一番強度がある。それは小説の書き方も一緒かもしれません。
――最後になりますが、デビュー20周年ということで今後の活動の抱負をお願いします。
古川:この20年、色々な小説を書いてきましたし、朗読ライブもやりましたし、学校を開いたりもしました。自分でも扱いきれないくらい活動が多岐に及んでしまったので、ここらで少し統合できたらいいなという気持ちはあります。
どの活動も、古川日出男という一人の人間が自分の文学はこういうものだと表すためにやっていることで、本当はすごくシンプルなことなんだということがわかるようにしたいというのが抱負です。
小説については、すごい長編をゆったりしたペースで出していくこと。みんな小説を読まなくなっていますし、読んでいた人も歳をとると段々長いものは読めなくなってきます。書く方だって体力的に長いものは段々きつくなる。そんな中で分厚い本を平然と出し続ける作家でいたいですね。
(インタビュー・記事/山田洋介)