「ウソを書くこと」に抵抗があった頃――石井遊佳さんインタビュー(後編)
出版業界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』。
第95回となる今回は、『百年泥』(新潮社刊)で第158回芥川賞を受賞した石井遊佳さんが登場してくれました。
『百年泥』は、「百年に一度」という大洪水に見舞われたインド南東部のチェンナイで暮らす「私」が、水が引いた後の橋の上に残された泥の中から人々の百年間の記憶にまつわる珍品(そして人間!)が掘り出されるのを目撃するというユニークなストーリーと巧みな語りが特徴的な、石井さんのデビュー作。
痛快であり、時にほろりとさせるこの物語がどのようにできあがったのか、石井さんにお話をうかがいました。その最終回をお届けします。
(インタビュー・記事/山田洋介)
■「ウソを書くこと」に抵抗があった頃
――『百年泥』は石井さんのデビュー作でもありますが、デビュー前に書いた小説は100作近くに及ぶと聞きました。小説を書き始めたきっかけを教えていただけますか。
石井:10代の頃から本を読むのが好きで、読んでいるうちに書きたくなったというのが始まりですね。
ただ、その頃書いたのは日記とか身辺雑記のようなもので、創作や小説という形で書くようになったのは20代の終わりとか30代になってからです。というのも10代の頃は嘘を書くことへの抵抗があって、文章で何かを表現することは好きだったのですが、創作は苦手だったんです。創作って、要するに嘘なので。
――泥から奇想天外なものが掘り出されたり、会社の重役が翼をつけて出勤してきたり、今や壮大な「ほら話」をお書きになっていますね。
石井:年を重ねるにつれて平気で嘘をつけるようになりまして(笑)。
今は小説の世界くらいは嘘の世界で遊んでもいいんじゃないか思っています。私の小説は自分が読みたい小説でもあるので、書くことによって空想の中で遊んでいるという感じですね。
――インドでの生活についてもお聞きしたいです。インドで暮らし始めた時に感じたカルチャーショックはどんなものでしたか?
石井:カルチャーショックと呼べるようなものは特になかったです。というのも、インドに対して「こういうもの」という先入観はなかったので。
ただ、インドではじめて住んだのは北部のバラナシだったのですが、とにかく放っておいてくれないので疲れることはありました。変わった物や見慣れない人を見ると好奇心のままに話しかけてくる人が多かった印象です。もちろん、そういう北インドの人の気質がフレンドリーで好きだという人もいるんでしょうけど。
今住んでいるチェンナイも含めて、南インドではそんなことはなくて、日本人が歩いていても誰も振り向きませんし、話かけてもきません。だから楽ではありますね。
――石井さんがこれまでの人生で影響を受けた本を3冊ほどご紹介いただきたいです。
石井:私の作品は「マジックリアリズム」と言われたりするので、一冊目はガルシア=マルケスの小説にします。『百年の孤独』も好きですが、一番読んでいるのは『族長の秋』です。『百年の孤独』よりもディテールが濃くて、エピソードもおもしろい。
もう一冊は、セリーヌの『夜の果てへの旅』。これは生田耕作さんの訳が好きなんです。私はクセのある翻訳が苦手で、この小説も図書館で見かけて少し読んでみてダメだと思ったんですよ。
でも、書架に戻そうと思った時に見開きの「訳者紹介」が目に入って、そこに「自分の墓に名前も何も彫りこまず、ただ“non”とだけ彫った」ということが書いてあったんですよね。それを見てなぜか「これは読まないと」と思ったんです。それでもう一度きちんと読んだらおもしろかった。今は一生の愛読書です。
最後の一冊は、開高健さんの『ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説』にします。エッセイと小説の中間みたいな本なんですけど、これもよく読んでいます。
インドにいるということで日本から持っていった本しか読めないので、好きな本を何回も読む形になりますね。
――最後になりますが、今後の活動についての抱負をお願いします。
石井:まだ次の作品について具体的に定まっていないのですが、この世界のイメージ、世界の姿を表現するのに、言葉が持つ可能性が最大限発揮されているような作品を書いていきたいです。
作品を通して、読んでくださる方と交差して、互いを交換しあって入り混じるような体験をしていきたいです。これからもよろしくお願いいたします。
(インタビュー・記事/山田洋介)
(前編 ■芥川賞受賞、インド人上司の反応は? を読む)
(中編 ■奇想溢れるデビュー作『百年泥』はこうしてできた を読む)