バンドマンが「売れたい」から解放された瞬間 「私と本の物語」第4回・宮坂浩章さん(ミュージシャン)
あの本の中の、あの一文に心を動かされた。そんな経験をしたことはないでしょうか。
本は、時に読者の人生を肯定し、時に読者の背中を押し、そして時に強く叱咤してくれるものです。
さまざまな人に心を動かされた本やその一文にまつわるエピソードを語っていただく「私と本の物語」。
第4回の今回、お話を伺ったのは、ロックバンド「J.P.NAYUTA」で、ギター・ボーカルとしてバンドを率いるミュージシャン・宮坂浩章さんです。
■「純粋にやりたいことをやる」というシンプルな考え方の原点
長野県出身の宮坂さんは18歳のときに上京し、いくつかのバンドを経て2008年にスリーピースロックバンド「J.P.NAYUTA」を結成。首都圏のライブハウスを中心に、精力的にライブ活動を行い、2014年にはアルバム「From now on,I will begin all」、2015年にはミニアルバム「スタンド」をリリースします。
そんな宮坂さんにとって「J.P.NAYUTA」は“これまで最も長く続いたバンド”。幾多の挫折を重ね、辿り着いた場所の先に生まれました。
「J.P.NAYUTAを作るまでに7つのバンド、作っては潰れ、作っては潰れ。大して売れたわけでもなく、バンドが潰れては振り出しに戻るということずっと繰り返してきて、もう駄目だと思った時期があったんです。今から9年前かな。
もう一度全部やめちゃおうと。それまで10年間、毎日ギターを弾いて、音楽を聴いて、という義務を自分に課して、売れるために頑張ってきたけど結果が出なかった。自分は売れている人と遜色ないくらい努力はしてきたつもりだけど、何かが違っていて…それは生き方かもしれない。だったら、その生き方を一度やめて、義務を解いて、自分を一度ナチュラルに戻してみようと、そう考えたんです」
「ナチュラル」。これが宮坂さんを紐解くキーワードです。自分に対する制約を全て取っ払ったときに、自分に一体何を欲するのか。それを知りたかったと、宮坂さんは言います。
「最初は毎日ゲームばかりしましたね。『信長の野望・蒼天録』を長宗我部元親でプレイして、何度全国統一したことか(笑)。でもゲームでは全国統一できても、自分は何も統一できていないままなんですよ。
そのうちにギターを弾きたくなるときが出てきて、やっぱり弾く。弾いていると、ちょっとしたメロディが浮かんできて、こういうコードを付けて、こういう歌詞を乗っけたいと思い始める。そして、曲ができる。その曲をバンドでやりたい。『あ、俺、バンドしたいな』と。
ナチュラルにそういう流れができていって、そのときにたまたま目の前にいたのが、前任ベーシストの松沙花さんだった。それで、彼を誘って、次はドラムを見つけよう。そんな感じで生まれたのが、『J.P.NAYUTA』というバンドです」
「ナチュラル」の中で生まれたJ.P.NAYUTAは、宮坂さんにとってそれまでとは全く違った意味合いの持つバンドでした。それは「やりたいことをやる、その結果がこれだった」というシンプルな答えから生まれた存在だったのです。
そんな宮坂さんの「ナチュラル」な姿勢をつくりだすきっかけになったのが、司馬遼太郎の小説『峠』(新潮社刊)だったと言います。
「司馬遼太郎の作品は20歳くらいの頃からずっと好きで読んでいるんだけど、この『峠』を読んだのは25歳、26歳くらいの頃かな。この作品の主人公である河井継之助の“ナチュラルさ”は自分にとって近いというか、すごく馴染むものがあったんです」
『峠』は幕末から戊辰戦争にかけての越後長岡藩を舞台に、牧野家家臣の河井継之助を描いた一代記。未来を見通す卓越した思考力を持ちながら長岡藩に最後までこだわりつづけ、新政府軍に敗北し、非業の死を遂げた人物の存在を世に広く知らしめた歴史小説です。
■坂本龍馬とは違う。河井継之助から学んだ「ナチュラル」
「おそらく司馬遼太郎作品の主人公の中で、最も悲しい道を辿った男が河井だと思います。
僕たちは、結末を知っている状態で歴史小説を読むわけだけど、当時生きていた人たちはどちらが勝つのか分からない状態で、厳しい選択をしなければいけないわけですよね。
河井は、実は世界的な視野で物事を見ることができて、幕府が負けるということも見通していたんです。その中で、彼は自分が生まれ育った越後長岡のために尽くすという選択をした」
長岡藩牧野家は江戸幕府の譜代大名。河井継之助は、新政府軍が進軍してくる中で幕府に対する忠義を失わないために、「獨立特行(武装中立)」を訴え、長岡藩生き残りの道を探ります。しかし、交渉は空ぶりに終わり、新政府軍の攻撃を受け、ガトリング砲をはじめとした最新の武器で応戦するも敗北。会津に落ちのびた後、破傷風で亡くなります。
同じ幕末に活躍した坂本龍馬が土佐から脱藩し、いわば「自分のやりたいことだけをし続けた」という究極のナチュラル人間であったとすれば、河井継之助は自分の生まれ育った土地に縛られ、長岡藩から脱却することができなかった正反対の人物だと感じ取れるはず。
しかし、宮坂さんは河井継之助の生き方も「ナチュラル」だと感じているのです。
「河井は幕府も新政府も関係なく、越後長岡藩の牧野家が生き残ることだけを考えた。自分のアイデンティティはここにある、と。その選択をナチュラルにしていた。そして、武装中立を訴えて、出来る限りのことをしたけれど、最後は悲劇で終わる。
結果、長岡藩は潰れたし、河井の叶えたかった願いはおそらく一つも叶っていないんじゃないかな。ただ、彼は細胞レベルで自分の欲するままに動くことができた人物じゃないかなと思うんです」
あれこれと考える前に、自分の感情が向かおうとしている方向へ。「こういう風にすれば受けるかな」「こうしたら叱られるかも」、そうした思考に囚われていた宮坂さんにとって、河井継之助の生き様はナチュラルそのものだったのです。
「どんな結果であっても、自分の信じたことを貫き通した河井の生き方は、すごいなと思います。考えるよりも先に身体が動くのが一番強いと思うから」
そして、自分自身を信じて行動して、後から眺めればいい――。
「ナチュラル」から始まったJ.P.NAYUTAは、2018年で活動10年目を迎えます。
「実はJ.P.NAYUTAというバンドは、『続けよう』と思っているわけではなくて、『続いている』って感覚なんです。今まで、自分の信念が崩れそうになったときもあったし、しんどいと思うこともある。けれど、これまで続いているのは、『やりたいからやる』っていう、バンドを始めた頃の感覚が今でもあるからかもしれない」
その一方で、J.P.NAYUTAの活動をやめようか迷った瞬間があったといいます。昨年、結成当初から在籍していたベーシストの松沙花幸さんが脱退しました。「そのときはさすがにJ.P.NAYUTAを続けていいのか迷った」と神妙に語る宮坂さん。それでも活動が続いている理由とは?
「なぜこのバンドが続いているんだろう、なぜ自分はバンドを続けているんだろうと考えた時に出てきた答えは、自分たちの音楽を好きといってくれる人たちがいるから。そこが改めてスタート地点になりましたね。
バンドを10年もやると、自分の手から離れていく感覚があるんですよ。特に地方でライブをして、『また来てください!』と言われたとき、それを強く感じます」
もちろん、バンド活動を続ける以上はそれなりの結果が求められます。
「河井はすごくナチュラルだったけれど、生まれ育った長岡という土地が呪縛にもなっていました。それで言えば、バンドにとっての呪縛って他者からの評価かもしれない。その評価をいかに保ちつつ、どこまでナチュラルにいられるか。そのせめぎあいなんだろうなと思いますね」
J.P.NAYUTAは現在までに2枚のアルバムをリリース。東京だけではなく、長野や福島といったライブハウスでも熱い歓声を受けています。
取材・文・写真:金井元貴
撮影:2017.9.20 荻窪club Doctor
■J.P.NAYUTA
ジャパニーズ・トリオ・ロックバンド。
Vo&Gu/宮坂浩章、Dr/浜田卓也、Ba/オカジママリコ
Twitter:https://twitter.com/J.P.NAYUTA
【ライブスケジュール】
10月26日(木)六本木VARIT
11月12日(日)長野INDIA live the SKY