だれかに話したくなる本の話

腐敗した政治、行き詰まる市民運動 ジャーナリストが見た“麻薬戦争の国”メキシコの現在と未来

*9月7日と19日(現地時間)、メキシコで2度にわたりM7を超える大きな地震が発生しました。被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の一刻も早い復旧をお祈りしております。

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「合法的にアメリカに行くことは難しい今、手っ取り早く稼いで豊かな暮らしをするには、麻薬組織の仕事をするしかない。今の生活では全く夢も持てないと思っている若者は、それができる可能性のあるカルテル(麻薬犯罪組織)に参加するわけです」

この10年間、メキシコではカルテル同士に加え、軍・連邦警察の三つ巴となって「麻薬戦争」が繰り広げられてきた。その犠牲者はカルテル関係者、軍人、警察官だけではない。罪のない一般市民やジャーナリストも含まれている。

メキシコで30年以上フィールドワークを行い、ストリートチルドレンの自立支援などにも関わってきたジャーナリストの工藤律子さんは、暴力と麻薬によって破綻してゆく社会を取材し、『マフィア国家』(岩波書店刊)という一冊の本にまとめた。

“世界最悪の治安”といわれるシウダー・フアレスをはじめ、第三の都市モンテレイ、首都メキシコシティとその近郊の街クエルナバカ、そしてイグアラの人々を通して見えるメキシコの現実は、あまりにも過酷なものだった。

そして、工藤さんはメキシコの取材中、“今までになかったこと”が起きたという。

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――モンテレイで取材をされているときに、何者かに尾行されていたそうですね。

工藤:これについては私も驚きました。取材協力者でモンテレイにも同行してくれていたカルロスが急に「やっぱりホテルを引っ越そう。誰かが君たちの後をつけているという連絡が入った」と言ったんです。

私とカメラマンの篠田は全くそのことに気付かなかったのですが、メキシコの治安を調査しているアメリカのコロンビア大学の教授、ブスカグリア博士からカルロスに連絡があったのだそうです。カルロス自身は、モンテレイに着いた時から、危険に囲まれ生きてきた経験からか、最初に泊まったホテル周辺のことを「安全じゃない」と警戒していました。

――外国人が襲われるということはないのですか?

工藤:日本人には、メキシコは治安が悪いというイメージがあるみたいですが、場所によってかなり違いますね。地元の人でも行かないようなスラム街はもちろん危険です。でもそれは、メキシコ人にとっても危険な場所ということです。

ビジネス街や観光地にも物取りは昔からいますが、外国人の誘拐や殺人という話は、高級住宅地など、企業関係者の多い地域以外ではあまり聞いたことがないですね。そういう意味でも尾行されたのは意外でした。今でも何が起きていたのかちょっと分からないというか…。

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工藤さんは、メキシコ国内で状況を少しでも変えようと運動を起こしている市民たちに取材を行う。

元ギャングのカルロスは、「地下鉄やバスは命を狙われる危険性があるから使いたくない」とさらりと述べる、元横綱の曙にも似た大男。彼はメキシコシティで青少年コミュニティセンターを運営しつつ、現在は非暴力の重要性を語り、その考えを広める活動を行っている。

他にもラッパー、幼稚園の先生、失踪者の被害者家族グループなど、さまざまな人の口からメキシコが直面している問題が語られる。しかし、そのいずれも、明るい未来が結論付けられることはない。漂うのは「閉塞感」「行き詰まり」である。

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――このような状況になると、一般市民は革命を起こすしかないのではないかと思うのではないですか?

工藤:そう思っている人たちはかなりいると思います。武力革命とは言わなくても、一度政治をひっくり返さないと何も変わらないと。ただ一方で、選挙自体が操作されているので、何も変えられないという無力感もあるわけです。

――国民が正しく国を動かす方法がなくなっている、と。ワークショップを通じて啓発活動をしているグループもたくさんありますが、やはり限界があるのでは?

工藤:それは実際にワークショップをやっている人たちが一番強く感じているでしょうね。30年前はここまでひどい状況ではなかったということを考えると、なぜここまでひどくなってしまったかということを、皆が考えていると思います。一般市民の意識にも原因があるという反省があるのではないでしょうか。

一般市民も、個人としては「政治を変えるべき」と思っている。けれども、どうすればいいのかまでは考えられない部分があるんです。

――お話を伺っていて、状況は全く違っても、一般市民の政治との向き合い方は日本と似ているかもしれないと思いました。

工藤:現実を変えられないのでは、と思っている点では、似ているかもしれませんね。声は上げるけれど、変革への行動に結びついていかない。

この本で取材をした人たちは行動しているけれど、そういう人はまだ少ない。だから行動を起こせる人を増やさないといけない。市民運動に参加している人たちは、自分たちがまだマイノリティだと感じています。

だからこそ、常に意識の変革を訴えていくことが大事なんです。ワークショップは地道な努力で、あまり効果がないように見えるかもしれない。けれど、継続していくことが重要で、続けていればメキシコの未来を担う子どもや若者たちにメッセージが届いていく。日本でもそうですが、自分たちが動くことで周囲に変化が起きる。そう考えられる人たちが革命を担うんです。

――貧困層にとってのヒーロー的存在は誰なのでしょうか? 以前映画『皆殺しのバラッド(原題:Narco Cultura)』を観たときに、カルテルのボスに憧れを抱くアメリカのミュージシャンが出てきたのですが…。

工藤:カルテルのボスに憧れを抱いている貧困層はいますよ。地元では、よくプレゼントをしてくれる、困っていたら助けてくれるおじさんみたいな存在ですから。それは「麻薬王」として知られるシナロア・カルテルの大ボス、エル・チャポもそうです。地元の人はほとんど誰も彼らを否定することがない。

――まさに政治家ですね。

工藤:確かにそうかもしれないです。貧困層にとって大事なのは、多くの場合、本当の意味での正しい政治ではなく、自分たちから見てどれだけ魅力的な政策をとるか。そのくらい生活が逼迫しているということなのだと思います。

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工藤さんの前著であり、中米ホンジュラスの少年ギャング団の全貌を追った『マラス』(集英社刊)でも語られていたことだが、破綻に向かう国家の中で子どもたちの存在は希望そのものであるはずだ。しかし、彼らが見ている将来に多様な選択肢はなく、貧困を再生産し続ける道に行くしかない。

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――スラムの子どもたちはちゃんと学校に行っているんですか?

工藤:うーん…行っているけれど、メキシコの公教育の質は全体的に高くないのが現状です。日本では朝から午後まで学校で勉強し、その後は塾やお稽古事というような生活ですけど、メキシコの子どもたちは午前の部と午後の部に分かれていて、学校にいる時間は1日5時間くらい。

では、学校以外の時間は何をしているのかというと、スラムの子どもたちはもちろんお金がないから習い事や塾に行けない。外をぷらぷらと歩いていると、麻薬の密売をしているお兄ちゃんたちに「手伝わないか?」と誘われたりするわけです。

――本の中にも「君はガタイがいいから手伝わないか?」と言われた子どもが出てきましたよね。そんな簡単に誘うのか、と。

工藤:そうなんです。家が商売をしている子どもなら、その商売の手伝いをするとかあるのかもしれないけど、周囲にはまともな仕事をしている人はいなくて、ギャングに参加している大人ばかりだと、それが自分の生きる道だと思い込んでしまう。

つまり、手の届く範囲で考えられる将来の姿のバリエーションが少ない。まともな考えを持って接してくれる大人がいないと、まともな選択肢が浮かばない。それはすごく問題ですよね。

――そういう意味でも青少年コミュニティセンターなどが受け皿になって、未来の可能性を子どもたちに伝えることが大切なんでしょうね。もう一方で、選択肢を与えるソーシャルワーカーを増やすことも課題です。

工藤:それは国がすべき支援だと思うのですが、そこに予算をかけてはいませんね。

――今後、メキシコは変わっていけるのでしょうか?

工藤:現在のメキシコ国民の脳裏には、格差が広がるなかで勝ち組になりたいという意識が強く焼き付いています。コストパフォーマンスを求めると、貧困層はカルテルに参加して一攫千金を狙うという方向に走りますし、「頑張っても無駄」というところから地道な努力の大切さに目が向かない状況です。

ただ、このメキシコの状態は特殊なわけではなく、日本でも同じような傾向があると取材を通じて感じました。

例えば、「なぜ、メキシコの貧困層はカルテルのボスをヒーローだと思うのか」「なぜ子どもたちがカルテルに加わるのか」という疑問は時に、海外の人の「なぜ日本の子どもは自殺者が多いのか」という疑問と、同じように聞こえるんです。

どちらの場合も問題は、個人の意思ではなく、個人にそのような行動を取らせているものがどこから来ているのかを考えることでこそ、はっきりします。その原因となるもの、世界の流れが変わらないと、社会は変わらないと思うし、そこに国や世界を変えるためのヒントがあるように思います。

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工藤さんによれば、今、メキシコには多くの日本企業が進出しているという。今年2月に成田国際空港とメキシコシティ国際空港が全日空の直行便でつながったことは、テレビCMなどでも見かけた人は多いかもしれない。

「治安が悪く、危険」というイメージを持たれつつ、一方でビジネスチャンスの国ともみなされているメキシコ。そこにある課題を工藤さんは指摘する。

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――最後に日本とメキシコの関係について教えて下さい。

工藤:日本のビジネスマンからすれば、メキシコといえば自動車産業です。今、どんどん日本の自動車工場がメキシコに移転していて、メキシコ国内の日本人の数も増えています。

その中にはメキシコ人の雇用を生んだり、技術を伝えることでメキシコに貢献するということを考えている企業もありますが、大部分は安価な労働力とアメリカ大陸での商売の利便性を求めての移転です。メキシコは治安の悪い国ですが、その危険な地域に工場を移すリスクを差し引いても得られる経済的メリットがある。

実はそこに一番の問題があるんです。世界や個人が動くときに今、どのような思想を持って物事が決められているのか。現在は基本軸が「経済」です。カルテルも然り。彼らは人を殺したいから殺しているのではなく、儲けるために殺している。企業は営利を追求しなくてはいけないので、「儲かるかどうか」を行動の基準にしている。そうした思想を根本から変えないと、メキシコも日本もよりよい未来へと進んではいかないと思います。

(取材・文/金井元貴)

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マフィア国家――メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々

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国際社会をも震撼させる麻薬戦争の震源地で何が起きているのか、そして人々は暴力にどのように抗しているのか。その最前線の町に入った本格ルポルタージュ。

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金井元貴

1984年生。「新刊JP」の編集長です。カープが勝つと喜びます。
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