だれかに話したくなる本の話

黄金時代の中で「甲子園で勝ちすぎた監督」が抱えた苦悩

黄金時代の中で「甲子園で勝ちすぎた監督」が抱えた苦悩

花咲徳栄高校の、埼玉県勢初となる優勝で幕を閉じた今年の甲子園。

長年甲子園を見ている方ならわかると思うが、高校野球には3年から5年のスパンで「黄金時代」を築く高校があらわれる。KKコンビがいたPL学園や、2000年代前半の常総学院(茨城)、最近では2011年春と2012年春夏の3季連続で決勝に進んだ光星学院(青森) も、「黄金時代」を築いたといっていいはずだ。

そして、わすれてはいけないのが、2004年から2006年の駒大苫小牧(南北海道)である。2004年、2005年の夏連覇に加えて、2006年も決勝に進んだ同校は、斎藤佑樹(現・日ハム)擁する早稲田実業(西東京)と二日間にわたる伝説的な死闘を繰り広げた。この時期の駒大苫小牧も、まさしく「黄金時代」だ。

勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇

勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇

「大旗は白河の堰を越えない」「雪国の高校は甲子園で勝てない」
高校野球界における暗黙の常識を、派手に打ち破った一人の監督がいた。
二〇〇四~六年、駒大苫小牧を連覇へ導き、三連覇に王手を掛けた男。香田誉士史。三十五歳の若さだった。

降雨ノーゲームから、再試合で屈辱の敗戦を喫した03年。
北海道勢初の全国制覇を果たした04年。
驚異の夏連覇、05年。
そして、田中将大と斎藤佑樹の投げ合いが異例の決勝再試合となった06年……。
香田がいる甲子園には、常にドラマがあった。

だが、甲子園における駒大苫小牧の活躍は、香田に苦難の日々の始まりを告げた。
優勝後の大フィーバーが、香田の心を少しずつ蝕む。そして夏連覇を果たした直後の暴力、
飲酒事件という悪夢……。
三連覇が幻となった翌年、香田はチームを追われた。高校野球史上最も有名な監督は、
満身創痍のまま表舞台から姿を消した。

球史に残る監督、栄光と挫折の舞台裏を長期に亘る丹念な取材で解き明かしたノンフィクション。