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【「本が好き!」レビュー】『政争家・三木武夫 田中角栄を殺した男』倉山満著

提供: 本が好き!

■徳島代理戦争以前~室町に通じる婆娑羅(バサラ)の気風~
■徳島代理戦争以降~そしてバルカン政治家へ~
■三木武夫という生き様に接して

■あらすじ
角栄を殺した稀代の政争家、”第66代内閣総理大臣”、三木武夫の評伝。
著者の倉山満先生は第17.5代自民党総裁の“座”を射止めたことがあるそう。(倉山先生の別著「自民党の正体」(2015年。PHP研究所)より)

今まさに“角栄ブーム真っ只中”の感がありますが、そんな角栄を「殺した」のが、何を隠そう「三木武夫」その人です。 「殺したというのは単なる比喩です」、と言いたいところですが、本書によると、「田中角栄の政治家としての政治生命は間違いなく三木武夫によって絶たれた」と言ってもいいのかもしれません。

角栄を殺した男、そんな“バルカン政治家”の評伝を”第17.5代自民党総裁”が書き記したのが本書ですが、その三木の“生き様”は、生涯「政争に明け暮れた」といっても過言ではありません。ですが、その政争家としての在り方は「徳島代理戦争」を境に大きく「以前」「以降」に分けられるような気がします。

■徳島代理戦争以前~室町に通じる婆娑羅(バサラ)の気風~
そもそもの三木の異名である「バルカン政治家」自体、バルカン半島に由来するものであり、バルカン半島で行われる叛服常無き政治(=バルカン政治)から、三木の絶妙なバランス感覚に基づく処世術や、そのやり口があまりに”えげつない”ことを評して「バルカン政治家」と呼ばれるようになったそうです。
とはいえ、「徳島代理戦争」が勃発する以前の三木の手口というのは、相手の息の根までは止めない、絶妙な加減での「寸止め」が行われていたということもあり、むしろ「室町時代の“婆娑羅(バサラ)大名”の気風」が感じ取れるような気がしてなりません。

倉山先生の別著「倉山満が読み解く太平記の時代」(2016年。青林堂)で詳しく描かれていますが、婆娑羅とは金剛石(ダイヤモンド)を意味する「バージャラ」に由来する、鎌倉幕府末期から南北朝時代のころの「己の実力と才覚だけを信じて生きていた人々」のことを指す言葉だそうです。

その代表的な人物である佐々木道誉などは「世渡り上手」「全方位外交」「寝業師」「裏切りの常習犯」の代名詞のように語られることも多いそうですが、基本的には細やか且つ大胆なことができる、いい意味で“戦略的にものを考える優れた戦略家”であったとされており、敵方であった後醍醐天皇が捕らえられ、隠岐の島に流される際、警護にあたった道誉が後醍醐天皇を丁重に扱ったことが「橋渡し判官」としてお覚えをめでたくさせ、後の「建武の親政」時に活きてきたというエピソード等々が語られています。

本書「政争家・三木武夫」でも三木は元来反目しあっていたはずの池田勇人とは水面下で交友関係を築き、その命脈を保っていたり、自派の石田博英は必ず時の主流派の意向を汲んだ行動をさせておくなど、「後々を考え命脈を保つ」、「常にチャンネルをひとつ残しておく」という点において、抜群のバランス感覚、処世術を発揮しています。
このあたりが、本物のバルカン半島の政治家と違い相手を最後まで追い詰めない、日本古来の「婆娑羅の気風」に通じているように思えます。

■徳島代理戦争以降~そしてバルカン政治家へ~
それに比べて、シャレにならなくなってくるのが田中角栄との対立が先鋭化する「徳島代理戦争以降」ではないでしょうか。この頃から、とことん相手を追い詰め、屠(ほふ)らなければ気が済まない“本物の“バルカン政治家の様相を呈してきます。

もちろん、徳島代理戦争自体、角栄側から仕掛けてきた戦争であり、三木としては、自分の地盤を守るために戦ったに過ぎないのかもしれませんが、徐々にその権勢に衰えが見え始めた角栄に対する、“戦機”を確信した三木の「情け容赦ない攻撃」には凄まじいものがあります。
そしてその「最後の一手」が「ロッキード事件における田中逮捕」であり、田中角栄はこれで政治生命が絶たれてしまいました。
三木としても当時の自派の劣勢を覆すための“渾身の一手”だったのかもしれませんが、時の総理が、検察を使い、法を犯してまで政敵を葬るなんて明らかに度が過ぎています。

“クリーン三木”として売り出し、“自らは手を汚さない”という脅威の処世術でのし上がっていった三木にとって、“殺るか殺られるか”に追い込まれた状況下において、自らが決断するしか選択肢はない、時の最高権力者である“総理大臣”の“座”にいたことこそが、何よりも不幸だったことのかもしれません。
そして、その総理の“座“すらも、自らが書き上げた「椎名裁定」によって手に入れたものだという事実に、”因果応報“を感じさせます。
また、この頃の三木のパフォーマンス重視とも思える行動の数々が「日本」にとって後の時代に「大いなる禍根」を残しているものが多いのも見過ごせない点ではないでしょうか。

■三木武夫という生き様に接して
時代が移ろい、周りの人間も変わろうとも、自らの立場も“一介の青年代議士”から”時の最高権力者である総理大臣“になろうとも、変幻自在であるはずの”バルカン政治家“は、ついに”バルカン政治家“であることを捨て切れなかったのでしょうか。
三木武夫という生き様がフィクションではなく事実だということに驚かされます。

著者の倉山先生も「あまりにも評価が難しい政治家だ」と評されていますが、それはそれだけ多くの含蓄を含んだ人生を歩んだ人物であり、三木武夫の生き様を「手本」として人生に役立てるのか、反面教師、戒めのものとするのかは読み手次第であると言えるのではないでしょうか。

人生の教訓譚として手元においておきたい一冊です。
おススメです。

(レビュー:Scorpions

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

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『政争家・三木武夫 田中角栄を殺した男』

政争家・三木武夫 田中角栄を殺した男

「金脈問題」で退陣する田中角栄の跡を襲った「クリーン三木」の正体は、想像を絶する「政争の怪物」だった。大物を振り回し、世論を惑わせ、敵は徹底的に葬る―。混迷する政局を泳ぎ回った稀代の策略家の実像とは?

この記事のライター

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