だれかに話したくなる本の話

【「本が好き!」レビュー】『ハバロフスク』内藤陽介著

提供: 本が好き!

■郵趣の総合スタイル、「切手紀行」

鉄道ファンに「乗り鉄」、「撮り鉄」、「音鉄」、「時刻表鉄」、「スジ鉄」など様々な楽しみ方があるように、切手にもいろんな楽しみ方があるのだなということがわかる一冊です。

「趣味は切手です」と言われたならば、通常思い浮かぶのは「切手収集」ではないでしょうか。
ところがどうやら、そういうわけでもなさそうです。
「郵便趣味」と広義の意味で捉えたならば、切手取集、葉書収集の他に、消印を集める”消印収集”、丸ポスト巡りをする”丸ポスト巡り”、さらには全国各地の郵便局を訪れ、郵便貯金通帳を作って局名印を押してもらい旅行の記念とする”旅行貯金”というものまで、実はその楽しみ方も多種多様なようです。

そんな中、郵便学(フィラテリー)の第一人者でもある内藤陽介先生は”郵趣”の一つとして、「切手紀行」というものを本書で提示されています。
では、内藤先生が提案する「切手紀行」とはどういうものか。
端的に言うならば、切手×旅行×歴史×写真、それが切手紀行であると言ってもいいのかもしれません。

切手に描かれている世界各地の名所を訪れ、その土地の歴史を調べ、切手が発行された当時の出来事や、現在に至るまでの時代の移り変わりに思いを馳せるという、まったく新しいタイプの”旅のスタイル”であり、それに加えて、切手の絵柄と同じ構図の写真を撮るという写真ファン的要素も多分に感じられる、いわば”郵趣の総合スタイル”と言えます。

■日本から3時間で行ける穴場スポット、ロシア極東部の中心都市ハバロフスク

今回、内藤先生が旅をされたのは、ロシア極東部の都市ハバロフスク。正直初めて聞いた地名だったのですが、ロシア極東部の中心都市であり、今では成田空港からの直行便もあるようで、3時間そこそこで気軽に行くことができる、穴場スポットとなっているようです。

「ロシアに行く」なんていうと、どうしてもモスクワあたりのヨーロッパ方面をイメージしてしまうので、海外旅行経験のない私はそれこそ「片道12時間以上かかるのではないか?」と思い込んでいたのですが、まさか東京―大阪間を新幹線で移動するのと同じ所要時間でロシアに行けてしまうとは思いもしませんでした。

そんなハバロフスクのシンボルと言えば世界第8位の大きさを誇るアムール川だそうで、このアムール川は中国との国境線でもあり、中国語では“黒龍江”とも言われ、満州語では“黒い河”を意味する“サハリアン・ウラ”と呼ばれており、その対岸にある島というのがサハリンという地名の由来だそうです。

他にも極東美術館、スバソ・プレオブラジェンスキー大聖堂、ウスペンスキー大聖堂など、写真で見ても美しいと思えるような旧帝政ロシア時代の建築物や、ウラジオストック行きの列車など見るべき観光スポットもあるようです。そして何よりも本書の醍醐味は、史跡、建物に関する内藤先生の歴史のマメ知識がとても面白く、勉強になることではないでしょうか。 特に印象に残ったものとしてウスペンスキー大聖堂とハバロフスクの市営墓地のエピソードをご紹介したいと思います。

■神に祈ったスターリン

ウスペンスキー大聖堂はマリアがなくなったことを記憶する正教会の祝日“生神女就寝祭”を記憶するための宗教建築物であり、ウスペンスキー大聖堂はロシア各地に存在しているそうです。(有名なところではモスクワのクレムリンの大聖堂やウラジミールの世界遺産「ウラジミールとスーズダリの白亜の建造物群」の大聖堂など)

本書でも余談として語られているのですが、1941年6月に独ソ戦(大祖国戦争)が勃発し、ドイツ軍がモスクワまで迫ってくると、スターリンはモスクワのウスペンスキー大聖堂で救国のための祈りを捧げるように関係者に命じたそうです。(ソ連崩壊まで極秘にされていたそうですが)

共産主義と言えば「宗教はアヘン」とみなし、信仰の自由などというものは一切禁止していたはず。その共産主義の体現者ともいえるスターリンですら、敵が目の前に迫り、自らの生命が危険にさらされた時は「神にもすがる思いだった」のだというのです。

事の善し悪しは別にして共産主義を信奉し、共産主義に殉じていった名もなき人々も多くいたことを思うと、「スターリンとは一体何者だったのだろうか」と思わずにはいられません。

■シベリア抑留者の眠る墓地~ハバロフスク市営墓地~

もう一つ印象的なものとして、ハバロフスク市営墓地があります。このハバロフスク市内にある市営墓地の一角にはシベリア抑留で亡くなった日本人310名の墓と墓参団の建てた慰霊碑があり、ここで内藤先生は日本から持参したパックの餅とレトルトの味噌汁を供えたそうです。
それは、コレクションの中にあるシベリア抑留者の葉書1枚に、こんなことが書かれていたからだそうです。

・その後大変ご無沙汰しておりますが皆元気ですか?私は元気にて暮らしておりますからご安心下さい。
・マリコは元気で遊んでおられることでしょうね。一番気になることはお父さんが病気であったことです。今度の返事には皆寄せ書きを下さい。
・今年の正月は善哉飯盆に半分で終わりました。昨年はジャガイモきんとんの皮にエンドウのあんこをいれた代用餅2つで済ましました。一昨年は3等メリケン粉の皮にもち米のあんこを入れ代用餅2つで済ましました。早く餅とみそ汁が食べたいものです。

内藤先生の著書『アウシュヴィッツの手紙』でもアウシュヴィッツ収容所での人々の生活や収容所内から親類あてに書かれた手紙が紹介されていましたが、検閲の目が厳しかったり、あるいは内部の生活は充分保障されているというようなプロパガンダ目的もあったりすることにより、収容所内での生活をありのまま書くということは非常に困難を極めたようです。

同様にこの抑留者の方の手紙も基本的には自分のことよりも日本にいる親類のことを心配するような内容になっているのですが、そういう当時の時代背景だとか抑留地での厳しい監視の目を思うと、「早く餅とみそ汁が食べたい」というこの一言に万感の思いが込められているのではないかと思わずにはいられません。

ハバロフスクを経ち、新潟駅から東京駅に向かう帰路の途中、老婦人に「今回はどういうご旅行でしたの?」と尋ねられた際、内藤先生は「墓参りです」と答えられたそうです。

先にも触れたとおり、近年ハバロフスクは手軽に行ける穴場スポットとして人気を集めてきているそうです。
旅行ガイド誌でもアムール川、スバソ・プレオブラジェンスキー大聖堂、ウスペンスキー大聖堂あたりは定番の観光スポットとなっているようですが、ハバロフスクを訪れる機会があれば、ぜひハバロフスク市営墓地も尋ねられてはいかがでしょうか。

お勧めです。

■追記:ヴャツコエ訪問記~虚構の英雄・金日成と白頭血統、および金正男暗殺~

本書では付録としてハバロフスク近郊の村、ヴャツコエ村を訪れた時のことも掲載されており、ヴャツコエ村が北朝鮮の独裁者、金一族にとって“ゆかりのある場所”であることを
現地の風景や金一族にまつわる切手を紹介しながら内藤先生が解説して下さっています。

■金正日生誕の地、ヴャツコエ村

ハバロフスクから北東に70キロほど行ったところにヴャツコエ村という小さな村があるそうです。
北朝鮮の公式見解では、“先代将軍”、故・金正日総書記は中朝国境にそびえる白頭山で生まれたことになっていますが、実際は父親の金日成(本名:金成柱)がここヴャツコエ村でソ連の軍事訓練を受けていた時に生まれた子供であることがソ連側の資料によって確認されているそうです。

白頭山というのは朝鮮の建国神話に登場する“霊峰”であり、「白頭山で生まれた」とするのは自らの権威を高めるための単なる捏造、プロパガンダに過ぎないことが様々な史料や現地の風景から確認できるそうです。

■“金日成”はチーム名?!

また「抗日抗争の英雄」としての“金日成キム・イルソン将軍”という名は1920年代から登場しており、実際には特定の個人の名前というよりは「実名を明かすことのできない非合法活動家の集合名詞」という意味合いが強かったそうです。
さしずめは「金日成」という名称はチーム名であり、“チーム金日成・第〇期生”、“チーム金日成・第〇期生”という人物が何人もいたということなのではないでしょうか。

そのため1945年に「金日成将軍歓迎平壌市民大会」が催され、司会者によって金成柱が「最も偉大な抗日闘士、キム・イルソン将軍」として紹介した時に33歳の若者登場したのを観て、その場に集まった観衆は唖然としたとも伝えれているようです。
それもそのはず、1920年代から活動していたはずの人間が1945年に姿を現わしたら33歳だったなんて、どう考えても釣り合いません。

しかもその時の演説もたどたどしいことこの上なかったらしく、一部の人々は「偽の金日成だ」といって騒ぎを起こしたとも伝えられています。

■プロパガンダによって殺された金正男氏

この追記を書いているのは2017年2月15日ですが、昨日2/14に現・北朝鮮トップの金正恩総書記の兄、金正男氏が暗殺されたとのニュースが報じられました。

北朝鮮の金正男氏、マレーシアで殺害される
http://bloom.bg/2ksnNXO

韓国の著作家、ブロガーであるシンシアリー氏によると今回の金正男氏暗殺も金正恩氏にとって自分以外の白頭血統の存在が目障りであったというのがそもそもの根本的な理由であると指摘されています。

(以下引用)
いくら優れた政治家でも、北朝鮮では「白頭血統」でなければ、指導者にはなれません。そういう集団です。言い換えれば、金正恩は、自分以外の血統を打ち切れば、安泰・・・・という安ぽい考えを持っているのでしょう。
(引用終わり)

自らの権威を高めるためのプロパガンダに過ぎなかった“白頭血統”。 そのプロパガンダの正統性をめぐって一族内で骨肉の争いが繰り広げられ、暗殺まで起きてしまうということに、得も言われぬ恐ろしさを感じてしまいます。

(レビュー:Scorpions

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

本が好き!
『ハバロフスク』

ハバロフスク

空路2時間の知られざる欧州。大河アムール、煉瓦造りの街並み、金色に輝く教会の屋根…夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅した歴史紀行。写真・図版多数オールカラー。シベリア鉄道の小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪なども加え、充実の内容。

この記事のライター

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