「人間くささのある教育の模様が描けると思った」 塾業界を舞台にした『みかづき』について森絵都さんに聞く
出版業界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』。
第87回に登場するのは作家・森絵都さんです。
森さんは1990年、『リズム』で第31回講談社児童文学新人賞を受賞してデビュー。2006年に『風に舞いあがるビニールシート』で第135回直木賞を受賞しました。
そんな森さんの最新長編小説となるのが、2016年9月に出版された『みかづき』(集英社刊)です。
「2017年本屋大賞」にもノミネート(発表は4月11日)されている本作は、「王様のブランチブックアワード2016大賞」を受賞、評論家や作家、各メディアから絶賛の声が上がった感動巨編。昭和から平成の塾業界を舞台に、親子三代が奮闘を続ける、家族と教育をめぐる物語です。
どんな世代でも必ず心を打つ風景が出てくる本作について、森さんにお話を伺いました。
(インタビュー・記事/金井元貴)
■家族という「縦のつながり」を書きたかった
――『みかづき』は昭和36年、千葉の習志野にある小学校で、小学校用務員の大島吾郎と、勉強を教えていた児童の母親である赤坂千明が出会い、学習塾を立ち上げるところから物語が始まります。書評家・北上次郎さんとの対談の中で、本作は「縦のつながり」を意識されたとおっしゃられていましたが、その部分をもう少し詳しく教えていただけますか?
森:今までは友だち同士であったり、恋人同士であったりという「横のつながり」で物語を書くことが多かったんです。でも、今回は世代を超えた長いお話を書きたいという想いがあり、「縦のつながり」を意識したんです。
――では、最初から三代の物語にしようとしていたのですか?
森:いえ、最初は親子二代で考えていました。親から子へ、という流れで。
ただ、世代を通して受け継がれていくものを、家族のつながりや教育というテーマで書いていく中で、最後に主人公になったのが孫の世代だったんです。
――「教育」というテーマは普遍性がありますが、その中で塾業界を取り上げていらっしゃったのは新鮮でした。
森:教育をテーマにしたときに、学校は王道過ぎるけれど、塾ならば色気を出せるように思えたんです。講師と子どもの距離も近いですし、教え方も十人十色。学校という「聖なる学び舎」ではない場所というところで、人間くささのある教育の模様が描けると感じました。
――森さんは塾に通われていらっしゃったんですか?
森:中学3年生の時に受験勉強で少しだけ。でも、あまり一生懸命ではなかったので(笑)、良い意味でも悪い意味でも思い入れはありません。だから、塾に対してはフラットな気持ちで書けましたね。
――この『みかづき』は主人公が3人います。最初の主人公が「千葉進塾」の創業者である大島吾郎ですが、妻の千明とともに塾の経営を軌道に乗せますが、途中で塾長の座を交代し、海外放浪の旅に出てしまう可哀想な人物です。
森:吾郎は基本的に真面目で、ちょっと頼りないところもあるけれど、憎めない人です。
彼は、家族のために自分を犠牲にして働きます。そのうえで、千明から塾長の交代を迫られるのですが、頼子という千明のお母さんが娘に対して「もう吾郎さんを自由にしてあげたら?」と言ったように、私も執筆している中でそういう気持ちになったんです。
吾郎が、子どもたちにとって良いお父さんでいることも重要だけど、吾郎は吾郎らしく生きることも子どもたちにとって大事なことなのではないかと思ったんですね。
――それで塾長を退いたあと、吾郎を海外に行かせてしまったんですね。
森:そうですね。吹っ切って、海外に行かせちゃえ!って(笑)
――その妻であり、二人目の主人公である千明はかなり強烈なキャラクターです。
森:経営者の論理で全てを考えていく人ですね。ただ、吾郎が子どもに教えることに情熱を傾ける性格でしたから、千明の性格は経営者らしくならざるをえなかった部分があります。
――本作の最終章となる8章の主人公は吾郎と千明の孫である一郎です。
森:先ほども言いましたけど、もともと一郎を主人公にしようとは考えていなかったんです。3人の娘のうちの一人が物語を引き継いでいくのかなとおぼろげながら思っていたのですが、それとは別の形になりましたね。
―― 一郎と吾郎は血がつながっていないけれど、吾郎の面影を受け継いでいるのは一郎ですよね。一郎の母親である長女の蕗子は大島家の中では唯一、学校の教員になるなど独特な存在です。
森:蕗子は千明の娘で、最初に吾郎と出会います。この小説は教育をテーマにしてはいるけれど、「教育とはこうだ!」という話から始まるのではなく、子どもとの出会いから火が灯ってほしいと思っていました。その吾郎に火を灯したのがこの蕗子なんですよね。
実は書き始めた当初は、蕗子が千葉進塾を継ぐのだろうと思っていました。ただ、物語が進む中で、蕗子の母親に対する複雑な感情から公教育の道へ歩ませることにしたんです。
――キャラクター作りをする中で、一番大事にしたことはなんですか?
森:一人ひとりに秘めているものがあってほしかったんです。家族にも隠している、誰にも言えない秘めた部分ですね。蕗子ならば、お父さんの吾郎と血がつながっていないということに傷を持っていたり。そうした、家族として一緒にいながら秘めているものをそれぞれに与えたかったんです。
でも、その一方で、大島家は家族ですから、吾郎のどの部分をどの子どもが受け継いでいくかというということも考えながら書いていました。
(中編「「津田沼戦争」「谷津遊園」…懐かしさと戦後教育の問題描く長編『みかづき』について森絵都さんに聞く」に続く)
『みかづき』公式特設サイト
森絵都さんプロフィール
1968年東京都生まれ。早稲田大学卒。90年『リズム』で第31回講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。95年『宇宙のみなしご』で第33回野間児童文芸新人賞と第42回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を、98年『つきのふね』で第36回野間児童文芸賞を、99年『カラフル』で第四六回産経児童出版文化賞を、2003年『DIVE!!』で第52回小学館児童出版文化賞を受賞するなど、児童文学の世界で高く評価されたのち、06年『風に舞いあがるビニールシート』で第135回直木賞を受賞した。『永遠の出口』『ラン』『この女』『漁師の愛人』『クラスメイツ』など、著書多数。(書籍より引用)