『しんせかい』が芥川賞 脱力感が心地いい山下澄人作品の魅力
劇作家としても知られる山下澄人さんの小説『しんせかい』(新潮社刊)が、第156回芥川賞を受賞した。
山下さんは、倉本聰さんが主宰していた「富良野塾」の塾生でもあり、『しんせかい』には「富良野塾」時代の実体験ともとれるエピソードが多数。自伝的小説や私小説とも読めるが、山下さんは「私小説と呼んでもらってもいいし、そうでなく読んでもらってもいい」と、以前「新刊JP」が行ったインタビューで煙に巻いていた。
フィクションをノンフィクションと騙るのは詐欺だが、ノンフィクションをフィクションとして語っても罪にはならない。ただ『しんせかい』にとって、それは大した問題ではない。どちらとして読んでもその魅力は損なわれないからだ。
物語らしい物語はない。主人公のスミトは、親しくなりかけていた女の子に別れを告げて「先生」の主催する「演劇や脚本を学べる場」にやってくるが、もともと演劇にも脚本にもそこまでの熱意を持っていないスミトは、「先生」への敬意や演劇への情熱を隠そうとしない入所生たちのなかで異質だ。
何でもそうだが、あることに情熱を燃やす人というのは、それが一途であればあるほど、興味がない人からすると不可思議で、滑稽にさえ見えてしまう。スミトの決して周囲と同化しない、ある種アウトサイダー的な視点が、この小説の可笑しさを作り出していると言っていい。
山下さんの小説は、「山下澄人的」としかいいようのない、独特な風合いがある。先述の視点しかり、どこかはっきりとしない、靄がかかったような作中の時間の進み方しかりである。
小説の書き方について、
「普通なら小説はこう書く」みたいな基準がどこかにあるのかもしれないけど、そんなものはないんじゃないか。独特と言われてもよくわからないです。そんなに意図的なものではないです。(新刊JP ベストセラーズインタビューより)
と語るように、その独特の作風は計算されたものではないようだ。脱力していて、格式張らず、格好つけていなくて素朴な山下作品。普段小説を読みなれていない人でも、小説が苦手という人でも、むしろそういう人こそ楽しめるのではないか。
(山田洋介/新刊JP編集部)