人間関係強者がやっている「マウンティング」の活用法
「もともと音大志望だったんですが、親に言われて仕方なく東大に来た」
「申し訳ありません。その日はあいにくニューヨーク出張で、同窓会には参加できません」
「自民党本部から呼び出しをくらってしまいまして、お先に失礼いたします」
勘のいい人であれば、おわかりだろうが、この3つのセリフは「東大」「ニューヨーク」「自民党本部」というワードを駆使して「自分はすごい人間だ」ということを暗にアピールしている。俗に言う「マウンティング」である。
基本的にマウンティングをする人は嫌われる。しかし、あらゆる「自分語り」や「自己アピール」は他者との差別化を図るものである以上、それは少なからず「マウンティング」なのではないだろうか?だとしたら、どんなに忌み嫌ったとしても、人はマウンティングから自由になれるのだろうか?
■一流はマウンティングを「させてあげる」
マウンティングを忌み嫌うことは簡単だが、どんな人であっても他者より優位に立ちたい欲求は持っている。だから、人はマウンティングから完全に自由になることはできない。ならば、マウンティングを否定するのではなく、「現代社会を生き抜くうえで必須の教養」だととらえて上手に利用するべきではないか。
『人生が整うマウンティング大全』(マウンティングポリス著、技術評論社刊)は、マウンティングを肯定的に捉えなおし、利用することを提唱している。どのように利用するのか?
「人よりも優位に立ちたい」という願望を上手に満たしてあげられれば、対人関係は円滑になる。「マウントする」のではなく「マウントさせてあげる」のである。
たとえば打ち合わせや議論の際に「まさに〇〇さんのおっしゃる通りでして」「こんなことを〇〇さんの前で申し上げるのは釈迦に説法ですが」など、共感や尊敬を示す枕詞の後に自説を話すことで、相手は自尊心をくすぐられ、あなたの意見や提案に耳を傾けてくれるだろう。こうした枕詞によって相手を自分の一段上に置くことができる。そう「マウントポジション」を与えることができるのだ。
■さりげなく能力を誇示する「ステルスマウンティング」とは
逆に、それとなく自分の地位や能力を示す必要があるシーン、つまりマウンティングが必要なシーンもある。
そんな時は、あくまでさりげなくやるのがベター。本書ではその一例として、「自虐」の中にマウンティングを混ぜ込む手法を紹介している。
「会議ばかりで自由な時間が全然ない…毎日カレンダーが会議だらけ。部下が15人にもなると定例の1on1も増えるし、自分の処理能力の低さが嫌になる。みなさんはどうやって対処されていますか?」
といった具合である。自分の処理能力の低さを嘆きながらも、社内で頼りにされていることもアピールしている。こうしたマウンティングなら、あまり嫌味には聞こえないはずだ。 同様に「髪を切りにいくと、いつも美容師さんから『髪が多いですね』と言われます。両親に感謝ですね」と、「感謝」のオブラートに包んだマウンティングや、謙遜しながらのマウンティングもある。場面に応じて使い分けたいところだ。
「マウンティングで周囲と自分を比較する行為。他人と自分を比べているうちは幸せになれない」などと言われるが、他人よりも優れていると思えるところをいくつ見つけられるかで得られる幸せもあることは否定できない。その意味で、言葉として発するかは別として、「マウンティング」からは、確かにポジティブで本質的な要素をくみ取ることができる。
「マウンティングは悪」と決めつけるのは思考停止。誰もが逃れられない以上、何か使い道を見つけるべきだ。本書はその助けになってくれるだろう。
(新刊JP編集部)