「もう死んでもいい」経営の神様・松下幸之助の真意
松下電器(現パナソニック)を創業し、世界的企業へと成長させ、経営の神様と呼ばれた松下幸之助の名前は多くの人が知っているはず。そんな松下幸之助の晩年の23年間を間近で仕えた人物がいる。『松下幸之助直伝 社長の心得: 最後の弟子が身近で学んだ成功する「経営者」のあるべき姿』(江口克彦著、笠間書院刊)の著者である江口克彦氏だ。
■松下幸之助が「死んでもいい」と言った時
伝説的経営者である松下幸之助と直接会い、話した人物の証言は、貴重なものになりつつある。本書では、江口克彦氏が直接、松下幸之助から聞き、体験した言葉や行動を綴ったエッセイ「松下幸之助 経営心得帖」の中から、経営の心得、商売の心得、人づくり・組織づくりの心得、経営者の心得として、松下自身の言葉が多く拾われている話を中心に58話を紹介する。
松下幸之助は、なぜ経営者として大きな成功を収め、苦境や不況をいくつも乗り越えてくることができたのか。それは、社員を大事にし、成長させることによって、お客さまが評価してくれる良質な製品をつくったからだ。
この松下幸之助の「社員大事」「お客さま大事」の根本哲学は、「人間大事」という理念から生み出されている。自らの人間観を『人間を考える』にまとめきった1976年12月中旬、松下幸之助は「やあ、この人間観をまとめ終わったから、もう、わしは死んでもいい」と江口氏に呟いた。この言葉を聞いた江口氏は、多くの発言と著作を残した松下幸之助の思い、考えをこそぎ落としていけば、松下幸之助哲学の芯は「人間大事」なのだということを、「死んでもいい」という言葉から感じ取ったという。
実際、事業を始めた当初から事業は人にあり、人を育てなければ事業は成功するものではないという考えは、社員にも伝わっていた。資金も信用もない小さな企業が、どこよりも力強く発展したのは、社員に「われわれは人間として成長しなくてはならない」という心意気が浸透していたからだ。
当時、中学を卒業した入社1年足らずの社員が、立派な会社のベテランセールスマンと競って、勝ちを得ることがしばしばあったという。仕事の実力だけでなく、社員の人間としての姿勢、若いながらひたすらな姿勢、誠意をお得意先が評価してくれたからではないかと、江口氏は述べる。
長い間、間近で仕事をし、松下幸之助の言葉や考え方を見聞きしてきた江口氏は、松下幸之助から何を感じ取ったのか。経営者としての心得だけでなく、仕事をする人であれば心に留めておくべき学びにあふれた一冊だ。
(T・N/新刊JP編集部)