「菜食」は本当か?鎌倉武士の食生活の実態
鎌倉時代、源頼朝に従って鎌倉幕府を作り上げ、その鎌倉幕府のトップである鎌倉殿に仕えた御家人である鎌倉武士たちは、どのような人々で、どのような生活を送っていたのか。
『16テーマで知る 鎌倉武士の生活』(西田友広著、岩波書店刊)では、鎌倉武士の食生活や服装、住居、社会的役割、武芸、恋愛事情など、様々な視点から古文書や絵巻物などの史料に基づき、解説する。
■謎に包まれた鎌倉武士の食生活
鎌倉武士は、普段の日常生活の中ではどのようなものを食べていたのか。日常的なことはわざわざ記録されることが少ないため、断片的な史料を集めることが必要となる。鎌倉武士の日常の食事は古文書などからはなかなかわからないが、『病草子』という絵巻物に描かれた庶民の食事が参考になる。食事一式が描かれてており、折敷の上に6つの食器が置かれている。中央の2つの大きな食器には、山盛りのご飯と汁物。その手前の3つの食器にはおかず、奥の食器には調味料が入っていると考えられ、一汁三菜ということになる。おかずの食器には魚のようなものが描かれ、まだ醤油がないため、調味料は塩か酢だったのではないかと考えられる。ご飯は玄米と考えられ、麦などの雑穀も混ざっていたかもしれない。この頃はまだ1日2食で、肉体労働も多かったため、ご飯は山盛りになっている。また。『吾妻鏡』には、ある御家人が「湯漬」を食べる場面がある。湯漬は、ご飯にお湯をかけたもので、お茶漬けのお茶を湯にしたもの。このような鎌倉武士の食生活が絵巻物からわかってくる。
古文書などからはわかりにくい食材について多くのことを教えてくれるのが、発掘の成果だ。鎌倉では鹿や猪、兎や狸の骨が出土してる。昔の日本人は肉、特に獣肉を食べなかったと思われがちだが、実際にはかなり食べていたことが明らかにされている。武士たちは弓射の訓練として、また楽しみとして狩りを行っていたが、獲物とされた鹿、猪、鳥などは料理され、食べていたという。
また、鎌倉武士の普段の飲み物は、水か湯だったと思われる。他には、宴会など大人数いる席では酒も飲まれていた。茶は、鎌倉時代の初め頃はまだ薬や仏様のお供物として用いられることが多かった。鎌倉時代の後期には、鎌倉の寺院や上級武士の間で抹茶が流行していたという。
本書では、食生活のほか、16のテーマから鎌倉武士の生活を解説している。どんな家に住み、何を食べ、どんな服を着ていたのか、日常生活から見ると、鎌倉武士がどんな人たちだったかもイメージしやすくなるため、歴史をより楽しく学ことができるはずだ。
(T・N/新刊JP編集部)