【「本が好き!」レビュー】『錨草 貴方を離さない』草川勝著
提供: 本が好き!草川勝『錨草 貴方を離さない』 は短編小説集。表題作「錨草 貴方を離さない」は中編であり、タイトルになっていることからも本書のメインと言えるものであるが、私は最初の短編「さようなら、ジェシカ 復讐するは我にあり、我これに報いん」が最も印象に残った。
「さようなら、ジェシカ 復讐するは我にあり、我これに報いん」は宇宙飛行士の木星の衛星エウロパ探検を描くSF作品。人間の身勝手さを感じる。結末の台詞の「また・・会えるかな」は、その場しのぎの発言である。二度と会えない対処をしておきながら、「また・・会えるかな」は自分だけ傷つかないようにする保身の論理である。公務員の「検討します」と同じく無責任である。SFではロボットやAIの人間に反乱を起こす展開があるが、それも自然に感じる。
宇宙開発の世界ではロケットに見られるように使い捨てが常識である。その意味では「さようなら、ジェシカ」の措置は不自然ではないが、宇宙開発という狭い世界の世界の当たり前に過ぎない。エウロパまで航行して貴重な学習をした人工知能を使い捨てにすることは信じられないほど勿体ない愚行である。
20世紀の頃は21世紀には宇宙開発が発展すると空想したものである。消費者が月旅行をするような時代になると思っていた。しかし、人類は二度と月に行っていない。逆に一度目の月面着陸もフェイクと大真面目に主張する見解がある。代わりにITの進展は著しい。使い捨てで進める宇宙開発とデータを蓄積し、機械学習を進めるITの差を感じる。
「さようなら、ジェシカ」はサブタイトルの「復讐するは我にあり、我これに報いん」が意味深である。本文は人工知能の逸脱した意思の結果によるものかを明言していない。大気圏突入ではシミュレーション以上の熱を感じただけで大気圏突入は成功だったかもしれない。サブタイトルに復讐とあることで一つの可能性が強い意味を持つようになる。
一方で「地球に未知の病原菌や生命体を不用意に持ちこまない危機管理プロトコル」とある(16頁)。地球に帰還させない方針はエウロパという未知の世界に接触した宇宙飛行士自身も対象になるのではないか。そうなると意思を持った人工知能の復讐ではなく、人間組織の冷酷な決定が実行されただけと見ることもできる。物を使い捨てに技術分野は人間も容易に使い捨てにする恐ろしさがある。宇宙開発よりもITが発展した21世紀は人間にとって幸福である。
(レビュー:林田力)
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