だれかに話したくなる本の話

【「本が好き!」レビュー】『親子の時間』庄野潤三著

提供: 本が好き!

庄野潤三小説選集。
庄野潤三さんのいくつもの家族小説のうちから、八つの章(景)が選びだされている。

特筆するような出来事があったわけではない、なんということもない、ごく普通の日々のスケッチ。家族の時間は、膨大なとりとめのない時間の集まりだ。
この本を読みながら、夢中でくらして、バサバサと惜しげもなく忘れ去ってきた、私自身の、とりとめのないたくさんの時間の一刻一刻が、懐かしくかけがえのない時間だったのだ、と振り返っている。

書き留められたことは、とてもささやかな出来事だ。
起きた瞬間に忘れてしまいそうな家庭のなかの細々したことが、丁寧に綴られている。
たとえば、巻末の解説で、選者・岡崎武志さんが、「家族のリズム」と呼んでいるもの。
頼まれてお風呂の火をとめる次男の「はい、ぱち」のような。
合いの手みたいなものだろうか。
それは、ちょっとした癖や習慣の、小さな仕草、言い回しだったりするのだけれど。
いつものそれだね、と、気軽に受け流してしまいそうだけれど、もし、それがなくなったら、何か忘れ物をしたような気持ちになるのではないか。
そういうことの連なりが、家族のリズムなのだろうかな。
家族のそれぞれの姿や、こまごました暮しの事柄への温かい眼差しから生まれ、息づいてきたリズムだろう。

この本は、書かれた年代もさまざまな、いくつかの違う本から取り出した章の集まりだから、一冊のなかには長い時間がある。
家は刻々と変化していく、近所の風景も姿を変えていく。
それでも、変わらないリズムが、こちらの章でも、あちらの章でも、ほら、静かにちゃんと続いているじゃないか、と感じる。
世の中が激しく移り変わっていくなかで、変わらないものがあるって、すごいことだと思うけれど、すごいなんて言ったら、恥ずかしくなってしまうような、さりげなさ、当たり前さ。

いいえ、もちろん、当たり前じゃないのだ。庄野潤三の私小説のなかの日常は。
思い出す言葉がある。
「あんたの居場所はここにあるよ」
これは、ファージョン(詩)とアーディゾーニ(絵)の小さな絵本『マローンおばさん』のなかで繰り返される言葉だけれど、こちらの本のなかからも、この言葉が聞こえてくるような気がする。
ささやかに見えて、深くて広い、奇跡のような「当たり前」へ。
「おはいり」と呼びかけている。
誰の居場所も、ここにあるから。

(レビュー:ぱせり

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

本が好き!
親子の時間

親子の時間

もう一冊の、庄野潤三入門。

これまで発表された数多くの単行本の中から、「親子」をテーマにしぼり、9編を精選。 函入。装幀、和田誠。

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