【「本が好き!」レビュー】『濃紺のさよなら』ジョン・D・マクドナルド著
提供: 本が好き!「Xという人がいて、なにか貴重なものを持っていたとする。そこへYがやってきて、それをXからとりあげる。そして、Xにはそれをとりかえすどんな方法もないという場合、あなたがのりだして、Xに代ってそれをとりもどしてやり、その半額を受け取る。あとはただ....そのお金が底をつきかけるまで、ぶらぶらして暮らす。その通りなの?ほんとに?」
ほんとにその通りなのです。一人称で語られる本書の主人公、中年男トラヴィス・マッギーは、居住用ヨット「バステッド・フラッシュ」(フラッシュくずれの意味で、この船を得ることになったポーカー勝負の時に使ったブラフの手から来ています)号に独りで住んでいて、本書では、マイアミの近くのフォート・ローダーデイルに停泊しており、ダンサーをしている知り合いの先住民の女性チューキー・マッコールを通じて、同じくダンサーをしているキャシイ・カーという女性から奇妙な相談を受けます。
キャシイの話によると、彼の父親は第二次大戦に参戦し、除隊後、酔って人を殺したため服役していたのですが、どうやら従軍中に何か不正な方法で大金を得たらしく、逮捕される前に「ムショから出たら家族には贅沢な暮らしをさせてやる」と、キャシイに言い残します。母親にそれを尋ねると、絶対に他言無用だと釘をさされます。ところが父親は癇癪持ちで、刑務所内でトラブルを起こしてばかりだったため、なかなか出所することができず、結局、獄死してしまいます。その後しばらくしてから、刑務所で父親と親しくしていたというジュニア・アレンという男が訪ねてきて、キャシイと、強引に深い仲になります。ところが、この男、父親が隠していた「お宝」が目当てだったらしく、ある日、父親が私道に立てていた門柱を引っこ抜いた後で、姿をくらまします。しばらくして、ジュニア・アレンは町に、彼のものである「プレイ・ベン」という名の大きな船に乗ってもどってきましたが、キャシイに会うためではなく、ミセス・アトキンスという未亡人と逐電するためでした。それ以来、彼の消息は分かりませんが、無一文だった彼が今は大金を持っており、それは門柱から掘りおこしたものから得たのは間違いなさそうでした。
実は、トラヴィスはまだ金銭的には余裕のある状態で、あまり気が乗らなかったのですが、一つには知り合いのチューキーが紹介してくれたということ、もう一つには、あまりにも不運続きのキャシイの身に同情したこともあって、この依頼を受けることにしたのでした。
さて、このトラヴィス・マッギーという主人公、自ら言うように「男女関係には信じがたいほどロマンチスト」で、当然ストイックでもあり、自分の正義感に基づいて仕事をします。例えば、取り戻したものが、元々盗品だったら、本来の持ち主に返すことにしていて、本書でも、ジュニア・アレンの行方を探ると同時に、キャシイの父親がどうやってお宝を得たのかを探ります。単に、とりあげられたものをとりかえして、報酬を得ることが目的なら、そんなことはしませんよね。
そして、本書の特徴と言ってもいいでしょうが、ジュニア・アレンにレイプされ、その後で奴隷のように扱われ、そのPTSDに苦しむ女性の立ち直りに主人公が尽力する様が、全体の四分の一ぐらいにわたって描かれており、こういう取り立て屋という商売の主人公からイメージするハードボイルド小説とは、一線を画す雰囲気があります。相手の女性が主人公と関係を持とうとして、途中でできなくなってしまうという場面などは、いわゆるハードボイルドではありません。ハードボイルドとは本来ドライなはずなのですが、この心理描写の多さは、完全に異質でウェットです。ハメットのようでは、まったくありません。
もう一つ、ニタニタ笑いで本性を隠しつつ女性に近づき、女性を暴力で支配し、自分の思う通りにさせようとするジュニア・アレンという男の悪辣さと凶暴性の描き方なども、直接描写は控えめではありますが、読んでいて気分が悪くなるほど、現実味があるのも印象的です。
スティーヴン・キングが激賞した『夜の終り』(1960年)も、特異なクライム・フィクションでしたが、本書も特異なハードボイルド小説と言えそうです。両作とも、書かれた時代のミステリーの不文律として、助かるだろうと思われる女性がそうならないという共通点を持っているのも、偶然ではないのかもしれません。トラヴィス・マッギーを主人公とする、このシリーズは全部で21作発表されていますが、その半分も翻訳されていないのは残念です。
(レビュー:hacker)
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