【「本が好き!」レビュー】『火山のふもとで』松家仁之著
提供: 本が好き!最も尊敬する建築家・村井俊輔の設計事務所の一員となった「ぼく」。1982年、10年ぶりに噴火した浅間山のふもとの古い別荘で、「先生」と「ぼく」、そして設計事務所の人々が織りなす物語である。夏の間だけ北浅間へ機能を移転させた村井事務所で、秋の設計コンペに向け緊張感を増してゆく仕事。「ぼく」こと坂西青年と、村井先生の姪との密やかな恋。この二つの出来事を柱として、物語は静かに進んでゆく。
村井俊輔は建築物のディテール(細部)をゆるがせにしない。坂西が村井事務所を志す決定的な動機となったのは、村井氏の設計による「飛鳥山教会」だった。赤みを帯びた桜材の扉、手に吸いつく取っ手のカーブ。身体の不自由な人が転ばぬよう、床の段差は楢材のパーツでなだらかに埋まり、礼拝堂の椅子は絶妙な間隔で並ぶ。厚みと光沢のある大きな十字架は自然なたたずまいを持ちながら、空間を支えて動じない。「これらのディテールにはすべて理由があって、あらゆることが可能なかぎり合理的に出来ている。」坂西青年はそう感じたのだった。
「夏の家」での生活を、作者は丁寧に描写する。コーヒーを淹れる様子、食後の団欒の背景にあるレコードの音楽、暖炉の煙の流れ、朝の仕事前に鉛筆をサリサリと削る音。人の気配というものを注意深く、淀みなく積み上げてゆく。それは建築家・村井俊輔の姿勢に似ている。風のにおいも鳥たちの声も、すっきりとした表現、シンプルな言葉を使って描き、積み重ねた描写によって作品に命を与えている。「神は細部に宿る」とは、細部に美学を浸透させるという意味だ。モダニズムの建築家ミース・ファン・ダールの言葉で、彼は"Less is more"(少ないことは、より豊かなこと)とも言っている。物語でも、この短い夏が登場人物たちにとって生涯忘れない特別な時間となる。
作者は建築家・村井の目指したものを小説で成そうとしたのだと思う。「質実で、時代に左右されない美しさを持つ」村井先生の作品のように、長く愛される小説となってくれることを祈りたい。
(レビュー:Wings to fly)
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